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体罰を子どもに受け入れさせるしくみ

 年代別に見ると,体罰を受けた経験が最も多いのは40代だそうだ。

 私も40代だが,小学校でも,中学校でも体罰を受けた。

 グローブをなくしてしまってのを隠していたことが知られ,父親にも体罰を受けた。

 こういうのが当たり前だったのが,40代である。

 40代の人が子どものころは,アニメでも学園ドラマでも,体罰とかしごきが当たり前だった。

 40代の人間というのは,

 「体罰」とは「どこにでもあるもの」で,

 「体罰ができない教師」が間抜けというか,臆病者に見えるときすらあった。

 子どもにやられる教師も当時は多かったが,情けないと思った。

 対教師暴力の標的になったのは,体罰ができない人や中途半端にやる?人だったのか?

 「私は体罰などしない」などと言っていた教師の学級では,授業が成立しなかった。

 指導力があるとかないとか,そういう問題ではないと多くの教師は感じていたのである。

 遅刻してきた生徒に「どうして遅れてきたんだ?」なんていきなり声をかけるような教師には,「指導力」の意味は逆立ちしてもわからないだろう。

 ひどい時期を経験しているのが,40代である。
 
 そして,40代の人間を教えていた教師というのは,団塊の世代とその上の人間たちである。

 こういう人間たちの過ちをくり返さない,という強い自覚をもった40代も多いだろう。

 そして,時代は変わった。

 体罰を「されたことがない」だけでなく,「見たことがない」生徒がいる時代である。

 親も,子どもに体罰をしなくなった。

 だから,子どもが体罰を受けた,なんてことを知ったら,大騒ぎになる。

 学校を飛び越えて,即,教育委員会へ,という時代である。

 なぜか,虐待とよばれるまで極端な体罰をする人はいるが。

 今,体罰をしている教師というのは,

 「絶滅危惧種」である。

 「危惧」ではなくて「歓迎」しなければならないのかもしれないが。

 「あの橋下市長」も,中学校まで毎日のように体罰を受けていたという桑田投手の言葉に打たれて(か,あるいは「利用して」),体罰撲滅へと動くという。

 そのとき,教師個人ばかりに目を向けてはいけない。

 子どもが「体罰を受け入れてしまうしくみ」をどうにかすべきである。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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