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体罰防止の研修より効果的なこと

 各教育委員会では,校長会に対して,月ごと程度の

 「(体罰などで)処分を受けた教師とその理由」に関する情報を提供している(と思われる)。

 しかし,多くの校長は,その情報を学校に戻って教員たちに伝えているとは思えない。

 内容が多くて伝える時間などないのが,学校現場である。

 紙でプリントして配るような内容でもない。

 どうするか。

 学校では,こういう内容は口頭で伝えられるのが普通であるが,

 耳から入った情報というのは,ほとんどが印象に残らず,

 「聞き流される」結果になる。

 教師の処分を関する情報をより印象の強いものにして,

 問題の抑止力をもたせるためにはどうしたらいいか。

 職員室に,52型程度の大画面TVを設置し,パソコンの画面が

 いつでも写せるようにしておく。

 普段は,通常の連絡事項がスクロールして繰り返されるような状態にしておくが,

 朝の打ち合わせのときなどに,

 処分を受けた教師の情報を画面に映していくのである。

 最も効果的なのは顔写真だが,そこまでやるか!という批判が必ず出されるだろうから,

 学校,教諭名,年齢,担当教科などでいい。

 体罰,セクハラ,わいせつ行為,自動車事故など,途切れることなく処分を受ける教師は生まれ続けている。

 目から入った情報というのは,かなり記憶に残るのだ。

 ついでに言えば,いつでも見ることができるような文書は,

 忙しい教師は目を通そうとする気がおきない。

 文書を配布するのはやめて,

 プレゼンだけですます。

 内容を詳しく知りたい人だけ,資料を請求すればいい。

 学校は,紙の節約をもっと真剣にすべきである。

 体罰がいけないことは,だれでもわかっているから,

 「研修」をいくらやっても,効果はない。

 しかし,「体罰」をすれば,どんな「罰」を受けるのかを繰り返し目にすれば,

 その記憶はきっと抑止力になる。

 体罰に関する生々しい映像を見たければ,

 あるスポーツの強豪校で体罰が当たり前の顧問の様子を

 練習試合などに潜入して撮影し,職員室で公開してみるのもいい。

 気の小さい教師は,見ただけで吐き気をおぼえるだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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