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子どもの喜びを自分の喜びにできる人が教師になろう!

 相手チームを0点におさえた野球のピッチャーとか,試合で逆転サヨナラホームランを打ったバッターならともなく,吹奏楽などのコンクールの一員として参加したにすぎない人間が,「全国一位になったのは,自分のおかげだ」と思うことはまずないだろう。

 仮に,そういうことを言っている自意識過剰の人間をみっともないと思ったとしても,全国一位になったときに,「自分はどれほどこれに寄与できたか」などと悩む必要はない。

 自分がどれだけ足を引っ張ったとしても,全国一位になったことに変わりはない。

 おそらく,メンバーの人たちは素直に喜んでいたのだろう。

 こういう人の姿を見て,人は感動するものである。

 でも,「感動しない」人間がいるらしい。

 「感動しない」人間に欠けているものは何だろう。

 「感動しない」人間が,持ちすぎているものは何だろう。

 それは,両方とも,教師には向かないものであると同時に,

 そういう人間が教師になったときに,子どもが迷惑するものである。

 「お前の思考は分裂している」

 「お前には国語力が欠けている」

 と自分がブログ上で書き散らしていることを「みっともない」

 と思ってくれない限り,

 自分が謙虚であろうとすることはただの「仮装」に過ぎず,

 「目下の人間」は自分に対して「謙虚であれ」と強要したいことが

 ばれてしまうというだけの話である。
 

 これが困った教師の典型的な姿だから,わざわざこの

 タイトルをつけたブログで取り上げているだけなのだが。
 

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より