評価をすればするほど教育の質が低下する悪循環
新しい政府による教育再生の動きは,
「改革」ではなく「再生」だから,
「再び(同じような成果を)生む」結果を想定している。
単純に,テストで測定できるような範囲の学力を向上させるのは,それほど難しいことではない。
テストをする前に,その問題を教えてしまえばよい。
ある小学校では,監督の先生が答えを教えていた。
ある高校では,採点のときに先生が子どもの答案を正しく書き換えていた。
こういう不正をしなくとも,
「テストで出される問題の傾向」がわかっていれば,
そういう問題だけを繰り返し解かせる訓練をすれば,結果はよくなる。
こういう教育を続けてきた「結果」は何だったのか。
その反省に基づいてできた学習指導要領で,今の子どもたちは学んでいる。
だから,新しい学習指導要領が次に改訂されるときの方向性は,今から見えているようなものである。
問題も,おそらく「再生」される。
一見,達成されたように見える「結果」もあるだろう。
しかし,問題も発生する「結果」となろう。
この世の中で最も難しい「評価」の一つは,
子どもの「評価」ではない。
教師という公務員の「評価」である。
問題は,その「評価」の質である。
単純に,学力検査,学力考査の得点を高くすれば「成果」だとされるようなら,
そういう「成果」は得られるかもしれないが,教育の質は「下がっていく」。
教師のそういう「態度」を,子どもはきっと,将来,マネをするようになる。
長い目で見て大切なことに,今,犠牲をはらって我慢するような人間はいなくなってしまう。
よい教師というのは,「質の低い評価の結果」を無視して,
本来の目標を達成するための教育に全身全霊をかけて「たたかう」のだ。
こういう教師が,どのくらい確保できるのだろう。
目標を再確認したい。
目標を誤れば,
学校教育は,もはや,「教科書」などは使わずに,
「塾のテキスト」をつかって学習した方が,高い「成果」が出せる場になってしまう。
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