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評価をすればするほど教育の質が低下する悪循環

 新しい政府による教育再生の動きは,

 「改革」ではなく「再生」だから,

 「再び(同じような成果を)生む」結果を想定している。

 単純に,テストで測定できるような範囲の学力を向上させるのは,それほど難しいことではない。

 テストをする前に,その問題を教えてしまえばよい。

 ある小学校では,監督の先生が答えを教えていた。

 ある高校では,採点のときに先生が子どもの答案を正しく書き換えていた。

 こういう不正をしなくとも,

 「テストで出される問題の傾向」がわかっていれば,
 
 そういう問題だけを繰り返し解かせる訓練をすれば,結果はよくなる。

 こういう教育を続けてきた「結果」は何だったのか。

 その反省に基づいてできた学習指導要領で,今の子どもたちは学んでいる。

 だから,新しい学習指導要領が次に改訂されるときの方向性は,今から見えているようなものである。

 問題も,おそらく「再生」される。

 一見,達成されたように見える「結果」もあるだろう。

 しかし,問題も発生する「結果」となろう。

 この世の中で最も難しい「評価」の一つは,

 子どもの「評価」ではない。

 教師という公務員の「評価」である。

 問題は,その「評価」の質である。

 単純に,学力検査,学力考査の得点を高くすれば「成果」だとされるようなら,

 そういう「成果」は得られるかもしれないが,教育の質は「下がっていく」。

 教師のそういう「態度」を,子どもはきっと,将来,マネをするようになる。

 長い目で見て大切なことに,今,犠牲をはらって我慢するような人間はいなくなってしまう。

 よい教師というのは,「質の低い評価の結果」を無視して,

 本来の目標を達成するための教育に全身全霊をかけて「たたかう」のだ。

 こういう教師が,どのくらい確保できるのだろう。

 目標を再確認したい。

 目標を誤れば,

 学校教育は,もはや,「教科書」などは使わずに,

 「塾のテキスト」をつかって学習した方が,高い「成果」が出せる場になってしまう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より