ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 自動採点機で採点できてしまうようなテストは,塾に任せればよろしい | トップページ | 「小学生攻略法」の次は「同僚の攻略法」? »

批判の相手は,コンピュータでなく,人間である

 教師の中には,自分が批判されていることに気づけない人がいる。

 これは正真正銘の「才能」に近い能力で,本人は頑強な

 「壁」

 で守られているのである。


 年度当初の時間割作成には,私も何度かかかわってきた。

 当然,ソフトウェアを使う。

 しかし,完全にはコマは埋まらない。

 人間の手作業で最後のコマまで埋めなければならない。

 条件がきつすぎることで,物理的に時間割が組めないことがある。

 この場合は,かなりの数の条件を,いくつかのランクに分けてもらい,調整する必要が出てくる。

 ある教師にとっては何でもない条件も,

 気難しい教師にとっては,重大問題である。

 だから,一律にこなすべき仕事だが,実際には,

 先生方に納得してもらえるような「根回し」が必要になる。

 この「根回し」が下手な人間だと,あとで「恨み」を買うことになる。


 自分が批判されていることがわからない人間というのは,

 自分の仕事の「正しさ」が絶対なのである。

 すべて相手の方が間違っている,相手が悪い,というのが前提の「知能」をもっている。

全否定か全肯定なのである。

 だから,アレが「つくりもの」「妄想の産物」であることがすぐにばれてしまうのだ。

 こういう人間にとっては,

 ある先生にとっての「1時間目に授業を入れないでほしい」という要望は,

 別の先生から同じような要望があっても,「同じ要望」になってしまうのだ。

 「同じ要望」でも,「違う」のだ。

 それが,個性なのだ。
 
 なくすべき個性だが,あるのだから仕方がない。

 こうした問題は,私も経験者だからわかるが,

 時間割はコンピュータではなく,人間の作業として行っているものだ,
 
 という重要な「事実」をわかってもらう努力を怠るべきではない。


 「お前が仕事をしているから気に入らないのだ」と直接的に言ってくるほど,教員も非常識ではない。

 時間割作成の苦労は,普通の人間ならわかるものである。

 「冷たい」と批判されているのがコンピュータではなく,それを使っている人間だということに気づけるような「知性」がほしい。

 たとえコンピュータを使おうが,仕事に人間性を感じさせるのが教師の重要な資質である。

 それが自らに欠けていることをなぜわざわざ公にしたがる人間がいるのかがわからない。

 自分自身の「ナントカの壁」にもっと早く気づくべきである。

 しかし,二度と同じような「失敗」をしないですむような教訓がもらえる,という点では,

 極めて「教育力」のある情報である。

 心から感謝したい。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 自動採点機で採点できてしまうようなテストは,塾に任せればよろしい | トップページ | 「小学生攻略法」の次は「同僚の攻略法」? »

教育」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 批判の相手は,コンピュータでなく,人間である:

« 自動採点機で採点できてしまうようなテストは,塾に任せればよろしい | トップページ | 「小学生攻略法」の次は「同僚の攻略法」? »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より