狐はどこに行っても狐
どうしても「威張っていたくてしかたがない」人がいる。
こういう人が,ときどき教師になってくる。
教師は「上」,子どもは「下」という関係は絶対にくずれないものと信じて,やりたい放題である。
困ったときだけ,「上」=校長のせいにする。
「虎の威を借る」自分がよくわかっているようで,
全国一位をとったことがあるのをわざとらしく書いて,
「あまり感動はなかった」などとやっている。
こういうのをだれも「謙遜」とは感じない。
狐というのは,どこに行っても狐である。
なぜか,いつも他人の「国語力の低さ」を記事にしている。
これは,人を見下すことで心が安定するからであろう。
指導力のない教師は,いつも人の文句ばかり言っている。
意図が伝わらないことを人のせいにすることにかけての情熱は半端ではない。
人から見下ろされることが,死ぬほど嫌なことであるから,
相手が「狐」であろうとなかろうと,「虎」の雰囲気がしたらそれだけで不満になる。
自分の矛盾に気づかなければならない。
しかし,指導力のない教師が,
自分の指導力のなさに気づけないメカニズムがあるように,
言っていることとやっていることが違うことに,全く気づけない。
なぜ「上」「下」「バカ」の話ばかりなのか。
それこそが最も見苦しい姿である。
自分はバカな狐を利用している虎のつもりなのだ。
・・・・しかし,今,世界や日本を動かしているのはみんな「狐」なのかもしれない。
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