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狐はどこに行っても狐

 どうしても「威張っていたくてしかたがない」人がいる。

 こういう人が,ときどき教師になってくる。

 教師は「上」,子どもは「下」という関係は絶対にくずれないものと信じて,やりたい放題である。

 困ったときだけ,「上」=校長のせいにする。

 「虎の威を借る」自分がよくわかっているようで,

 全国一位をとったことがあるのをわざとらしく書いて,

 「あまり感動はなかった」などとやっている。

 こういうのをだれも「謙遜」とは感じない。

 狐というのは,どこに行っても狐である。

 なぜか,いつも他人の「国語力の低さ」を記事にしている。

 これは,人を見下すことで心が安定するからであろう。

 指導力のない教師は,いつも人の文句ばかり言っている。

 意図が伝わらないことを人のせいにすることにかけての情熱は半端ではない。

 人から見下ろされることが,死ぬほど嫌なことであるから,

 相手が「狐」であろうとなかろうと,「虎」の雰囲気がしたらそれだけで不満になる。

 自分の矛盾に気づかなければならない。

 しかし,指導力のない教師が,

 自分の指導力のなさに気づけないメカニズムがあるように,

 言っていることとやっていることが違うことに,全く気づけない。

 なぜ「上」「下」「バカ」の話ばかりなのか。

 それこそが最も見苦しい姿である。

 自分はバカな狐を利用している虎のつもりなのだ。

 ・・・・しかし,今,世界や日本を動かしているのはみんな「狐」なのかもしれない。


 
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より