教師を「導く」のはだれか?
教師というのは,教育についての専門的な知識をもち,20年も30年もつとめていたら,豊かな経験をもって『実のある指導』ができる人間であるはずだ。
そういうのが「建前」になって,税金が投入され,公教育が行われている。
だから,保護者の立場だと,
「これを教師に言ったら,あべこべの関係になってしまう」
ということが気になって,結局,何も言えず,現状を変えられずに終わる。
現場の教師も,たとえば退職間際の教員に,これを言ってももうしかたがないだろう,
というかたちであきらめてしまう。
「建前」を前提としないと,何も始まらない「学校」という場は,とても悲しいところである。
子どもはだませるのである。
ある教師生活27年目の人間のように,子どもの「意見表明」に圧力をかけるような人間もいる。
しかし,大人になると,
「建前」と「実態」のギャップを否が応でも感じさせられる。
そして,「ホンネ」を心に抱くようになる。
親として,学校で子どもが世話になっている場合は,伝統的に,
「ホンネ」は心にしまっておかなければならないものであった。
ただ,それも限界に達するときがある。
その臨界点が,「生徒の死」であってはならない。
教育委員会ですら,臨界点の認識が甘かった。
体罰教師を放置しているのは,校長であり,教育長である。
体罰について毅然とした「指導」を行ってきた「実績」が問われている。
ただ「処分を下して終わり」「研修を受けさせて終わり」になっていなかったか。
「再発防止策」は存在したのか。
おそらく,新しいガイドラインがどの教育委員会でもつくられる。
ただの飾りにすぎず,存在意義の乏しい市町村教育委員会では,都道府県のができあがるのを待っている。
ここは,教育長の出番である。
その存在感を示せるのは今である。
あいさつ文を部下に書かせているような教育長のもとでは,校長も育たない。
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