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教師を「導く」のはだれか?

 教師というのは,教育についての専門的な知識をもち,20年も30年もつとめていたら,豊かな経験をもって『実のある指導』ができる人間であるはずだ。

 そういうのが「建前」になって,税金が投入され,公教育が行われている。

 だから,保護者の立場だと,

 「これを教師に言ったら,あべこべの関係になってしまう」

 ということが気になって,結局,何も言えず,現状を変えられずに終わる。

 現場の教師も,たとえば退職間際の教員に,これを言ってももうしかたがないだろう,

 というかたちであきらめてしまう。

 「建前」を前提としないと,何も始まらない「学校」という場は,とても悲しいところである。

 子どもはだませるのである。

 ある教師生活27年目の人間のように,子どもの「意見表明」に圧力をかけるような人間もいる。

 しかし,大人になると,

 「建前」と「実態」のギャップを否が応でも感じさせられる。

 そして,「ホンネ」を心に抱くようになる。

 親として,学校で子どもが世話になっている場合は,伝統的に,

 「ホンネ」は心にしまっておかなければならないものであった。

 ただ,それも限界に達するときがある。

 その臨界点が,「生徒の死」であってはならない。

 教育委員会ですら,臨界点の認識が甘かった。

 体罰教師を放置しているのは,校長であり,教育長である。

 体罰について毅然とした「指導」を行ってきた「実績」が問われている。

 ただ「処分を下して終わり」「研修を受けさせて終わり」になっていなかったか。

 「再発防止策」は存在したのか。

 おそらく,新しいガイドラインがどの教育委員会でもつくられる。

 ただの飾りにすぎず,存在意義の乏しい市町村教育委員会では,都道府県のができあがるのを待っている。

 ここは,教育長の出番である。

 その存在感を示せるのは今である。

 あいさつ文を部下に書かせているような教育長のもとでは,校長も育たない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より