正体不明の「聖職者」擁護論者
学校の教師が教育ブログをつづると,ふつうは
「何をしている先生か」が記事の内容からだいたい想像がつくが,
どの記事を読んでもそれが全く伝わってこない「教師」がブログ村にいる。
昔,小学校の教師か?と質問したら,否定していたので,「それ以外」としか言えない。
やたらと「教師擁護」の主張をするブロガーである。
ふつうは「身内にいい顔をするのは恥ずかしい」という感性がはたらいたり,
「教師は常に互いをかばい合っている」という批判を避けたいから,
やらないはずのことを,
平気でやっている。
正体不明だから,余計に気持ちが悪い。
このブロガーの特徴を典型的に示す例の一つが,
>国が教師に聖職者としての尊厳を認めていたということが重要
という趣旨の発言である。
戦争末期の話か?
問題がカネではないのなら,
59歳の教師に遠慮して,60歳の教師は潔く「聖職者らしい」ところをみせてほしい,
と主張するのならわかるが,退職金減額に対して,
>教員としての尊厳を踏みにじった
というような言い方をする。
59歳より若い教師たちにもあてはまることなのに。
こういう発言をする教師がいるから,
だれも教師を「聖職者」などと思わなくなるのである。
こういう教師のように,
教師は「身内に甘い」のである。
だから,校長を退職した人間が教育長になると,O市のようになる。
正体不明の教師のように,
カネがほしいので早く退職する教師を「聖職者」と呼びたい教師がいる一方で,
あの体罰教師を「聖職者」と呼びたい生徒がいるのが,
学校現場というところの実態である。
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