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正体不明の「聖職者」擁護論者

 学校の教師が教育ブログをつづると,ふつうは

 「何をしている先生か」が記事の内容からだいたい想像がつくが,

 どの記事を読んでもそれが全く伝わってこない「教師」がブログ村にいる。

 昔,小学校の教師か?と質問したら,否定していたので,「それ以外」としか言えない。

 やたらと「教師擁護」の主張をするブロガーである。

 ふつうは「身内にいい顔をするのは恥ずかしい」という感性がはたらいたり,

 「教師は常に互いをかばい合っている」という批判を避けたいから,

 やらないはずのことを,

 平気でやっている。

 正体不明だから,余計に気持ちが悪い。

 このブロガーの特徴を典型的に示す例の一つが,

>国が教師に聖職者としての尊厳を認めていたということが重要

 という趣旨の発言である。

 戦争末期の話か?

 問題がカネではないのなら,

 59歳の教師に遠慮して,60歳の教師は潔く「聖職者らしい」ところをみせてほしい,

 と主張するのならわかるが,退職金減額に対して,

>教員としての尊厳を踏みにじった

 というような言い方をする。

 59歳より若い教師たちにもあてはまることなのに。

 こういう発言をする教師がいるから,

 だれも教師を「聖職者」などと思わなくなるのである。

 こういう教師のように,

 教師は「身内に甘い」のである。

 だから,校長を退職した人間が教育長になると,O市のようになる。

 正体不明の教師のように,

 カネがほしいので早く退職する教師を「聖職者」と呼びたい教師がいる一方で,

 あの体罰教師を「聖職者」と呼びたい生徒がいるのが,

 学校現場というところの実態である。

 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より