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子どもの不幸をネタにする教師たち

 ブログ村の(元)教師たちの中には,自分たちの問題にはふれず,

 子どもの方の問題ばかりを披露している人間がいる。

 教師に都合がいいことを書くために,

 不幸な子どもの実態をばらす。


 これが,教師が社会から信頼されていない最大の理由の一つである。

 かつて荒れた学校の内部の様子を実況中継のように綴っていた教師がいたが,

 どのような学年経営や教科指導をしてきたか,全く見えなかったので,話はかみ合わなかった。

 学校の問題点に対する指摘は,保護者の立場からのメッセージとして受け取ってほしかった。

  
 私は現場の教師だが,保護者の立場でもあるし,教育委員会では保護者との間で学校を飛び越えて学校の問題点をやりとりしていた立場でもあった。

 どうしても,「保護者の立場」を認識してくれない教師が多いが,

 「親ではないから親の気持ちはわからないのだ」という教師への批判のされ方があることには強い共感をおぼえてしまう。

 
 私は社会科の教師で,社会科教育の専門家の立場としてのブログは,他のカテゴリで紹介している。

 社会科に限らず,教師の実践報告というのは,生徒の学習の成果が如実に表れているものを示すのが一番である。

 生徒の作品があれば,それを公開すればよい。

 たとえば,試験問題を公開して,その得点分布や解答例を紹介するという方法もあろう。
 
 ただ,私たち教師や元教師だった人間が気をつけなければならないのは,

 公にすべきでない情報の扱いに配慮することである。


 これもただのつくりごとであってほしいのだが,

>私が中学校で学年主任をしている時、生徒の自殺未遂事件疑惑が起こったことがある。

>死者は出なかったが、生徒が自宅でガスを吸って自殺をはかったとの連絡があった。

>今日の自殺事件と同様、親からは学校不信の態度があらわになった。

 ということを平気で書ける人間がいる。

 これを読んだだけで,親から不信に思われる学年主任であったことは明らかである。

 子どもが教師をかばって怒りがおさまった,というのがオチだそうだ。


 「自殺をはかった」ことはもちろん,

 「自宅でガスを吸って」という具体的なことを公開するのは,守秘義務違反にあたる。

 地方公務員の教員だったら,

 地方公務員法第34条

 “職務上職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。”

 に反する行為となる。

 
>私も実名は出していませんが、ブログ名はペンネームのようなものと考えています。

>事実、私の周りの人は知っていて、私自身はそういう人たちも含めて、日頃、なかなか話ができない人たちにも発信しているつもりです。

 
 確信犯ということになる。


>彼は「鬱(うつ)」という診断を受けていますが、医者が鬱と診断する中には、本当は統合失調症なのだという人もいるようです。

>医者は仕事などに差し支えないように、あえて鬱ということにしているのだそうです。

>その融通のきかない彼は、完全に統合失調症の症状で、この病名は昔は精神分裂症と言ったように、その名の通り、思考は分裂しています。

 こういうことが平気で書ける人間が,教師だったのだ。


 そして繰り返し書いているように,


>暗記力は、文字通り暗記するだけの力である。

>しかし、暗記力によって手順やデータを記憶していなければ、知能を発揮して利口になっていくことはできない。


 こういう学力観,学習指導観をもっている人間は,今の教育現場では少数派だが,

 子どもたちは「勉強はまず暗記から」という誤った学習観にとらわれ,

 「私は暗記は苦手」→「私は勉強ができない」という自己信頼感の欠如した子どもが次々に生まれている。

  
 子どもとはいえ,その知能が生かされるためには,

 「まず暗記しろ」などといって人間が「機械のように扱われる」ことを否定するところから始めなければならない。


 暗記が苦手な子どもは,

 「お前は機械以下だ」

 というメッセージを教師から受け取ることになるのである。
 
 日本の子どもたちが学習に「自信をもっていない」原因の一つがここにあるのだ。
 

 
 「覚えていないからできない」という学習観・指導観は,「覚えていればできるはず」という安易な学習観に直結している。
 
 小学生は大人と違って,だまって教師に従って「暗記」してくれる。

 中学生は「テストに出るぞ」「高校に行けないぞ」と脅せば,「暗記」してくれる。

 
 広い意味の学習指導は,教育をする場としての学校がその価値を試される機会である。

 だから指導観のいい加減な教師をどうにかしなければならない。

 
 現場では,学習指導観をきちんと議論できる研修・研究の場が,学校内で設けられるようにすることがまずは重要である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より