ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« タイトルの見直しが必要 ~個人主義が誤解される原因がそこにある~ | トップページ | 【重要】 小学校の先生へのお願い ~指導要録をつくる上で~ »

結果だけを重視するから個性を奪う教師になる

 成果主義の欠点は,

 「結果」と「成果」の区別がつかない人間が,よい「結果」だけを求めて仕事をするようになってしまうことである。

 単なるよい「結果」は,必ずしも次の成功につながらず,「失敗の原因」になることがある。

 簡単な話,一夜漬けでテストでいい点がとれた。次も前の日にしっかりやろう。・・・そして,だめだった,というケースがそれである。

 教育における「成果主義」は,単なるよい「結果」を求めるものではない。

 単なるよい「結果」よりも,良質の「過程」を重視する。

 
 「問いから答えまでの距離を遠ざける」

 のが,教師の仕事である。

 それを近づけることに情熱を燃やしているのが,教育産業(最近は,その批判を意識してか,もっと遠回りのことにも目を向けるようにはなっているが)である。


 だれがやっても同じような結果になることは機械に任せればいい・・・という発想の人間は,

 私の考えでは,絶対に教師には向かない人間である。


 それは,「過程」が視野に入っていないからだが,

 さらに言えば,そういう発想でいながら,なお「結果」にすら目を向けようしない人間がいる。

 「機械は間違えない」という「信仰」のせいだろう。

 こういう人間は,たとえ現場の教師でなくても,おかなしな言葉で教育を「汚染」するおそれがある。


 教師は,多くの場合,

 個性よりもよりよい「結果」を重視している。

 個性を重視している教師は,すぐその場での「結果」よりも,「過程」を重視しているから,子どもにかける言葉の質が,結果重視の教師と全く異なる。

 幼稚園の子どもが,家では描いたことのないような,「立派な」自画像をつくっていたが,自分よりも担任の先生に顔が似ていた。この作品に,担任の先生は何と声をかけてくれたのだろう。


 ある家族の話である。

 子どもが,今日は家族全員でそろって食事がしたい,と言い出した。

 (今,平日に父親抜きで夕食をとっている家庭は5割を超えているという)

 父親は,「今日は早く帰る」と言った。

 子どもはとても喜んでいた。この食事のことを作文にすると決めていたからでもある。

 しかし,父親は,急な出張で隣の県で泊まることになってしまった。

 子どもは,おなかがすいたと言う。

 しかし,家族全員でそろって食事がしたいとも言う。

 ここで,母親は何という言葉を子どもにかけるか。

 「あの方」なら,

 子どもにキレて「病気だ」と言いかねない。

 どうしてそういうことになってしまうのか。

 それは,教育とは何の縁もないものの考え方にとらわれ続けているからである。

 「個性」を単なる「違い」と言ってみたところで,何も始まらない。


 「個性」はその人の「こだわり」によくあらわれてしまうものである。

 だから,人から「嫌われる」個性もあることを,自分自身が自覚しておかなければならない。


 なつかしい話を思い出した。
 
 ある人が,自動販売機である飲み物を買ったとき,違う物がでてきて怒っている人をバカにする記事を書いた。

 なぜバカにしているかというと,「おまえが違うボタンを押したとしか考えられないから」だそうだ。
 
 「機械が間違えるはずがない」という考え方にとらわれてしまっているからである。

 しかし,自販機に飲み物を入れているのは,機械ではない。

 「入れ間違え」ということが,100%起こらないとは言えないのである。

 実際に,私も2度ほど経験がある。

 「だれがやっても同じ結果になること」を機械に頼ろうとする人間は,機械に泣くことになる。

 いや,そういう人間は,機械には怒れないから,泣き寝入りするしかない。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« タイトルの見直しが必要 ~個人主義が誤解される原因がそこにある~ | トップページ | 【重要】 小学校の先生へのお願い ~指導要録をつくる上で~ »

教育」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 結果だけを重視するから個性を奪う教師になる:

« タイトルの見直しが必要 ~個人主義が誤解される原因がそこにある~ | トップページ | 【重要】 小学校の先生へのお願い ~指導要録をつくる上で~ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より