体育科入試停止に教師は何を思うか
教育ブログには,ずいぶん世間の常識や学校の常識とはかけ離れた意見が登場している。
教師がそれを発している場合は,
「やはりそういうおかしな教師がいるのだな」
ということを納得させてくれる存在がある,ということだ。
こんな趣旨の発言がある。
>体罰を伴う「指導」が異常な状態だと認識できない学校(学科),体罰を根絶できるかどうかがあいまいな学校(学科)に行かなくてすむように,市長と市教委が受験生を守った
教師でなくても(教師でないからこそ?)気づくことだが,
こういう「守り方」をするためには,当該高校の入試停止だけでは不十分であることが,なぜわからないのだろう。
(異常な状態としての)体罰がこの学校だけで行われていたと信じているのだろうか。
視野の狭さにあきれるばかりである。
ただ,こういう思考形態でしか,自分たちを守れないのが教師のさびしいところでもある。
>よりよい学校づくりをする使命は,教師などにではない,生徒にこそあり,その責任は重大だ。
体罰をふるうのは,教師である。
そういう教師だとわかっていて,顧問を持たせ続けているのは校長である。
そういう教師だとわかっていて,異動させないのは,教育長である。
なぜ生徒の責任が「重大」なのか?
「よりよい学校づくりをする使命が生徒にある」・・・・・・???
元教師が何もわかっていないことを自ら証明するような発言をする場合は,
「こういう人がもっと大勢現場からいなくなれば,少しは学校がよくなるかな」
と期待をもたせてくれる存在がある,ということだ。
体育科入試停止に,教師は何を思うか。
多くの教師は,
「入試停止では,何も変わらない」と考えているはずである。
当該の学校だけのことを考えても,本当に「変われる」か?
問題は,「体罰だけ」ではない,ということが,理解されていない。
もっと根は深いのである。
それが,学校現場というところである。
橋下市長のリーダーシップは,すばらしい。
しかし,学校現場は,この程度のリーダーシップでは,何も変わらない。
内田樹もブログでふれているように,
「ばれた学校だけ,大きな問題となった学校だけが損をする」
結果だからである。
もし橋下市長が,長期的な視野で,
公立高校を日本からなくすこと・・・
すべてを私立高校にして,コストを下げ,授業料を税金でまかなう・・・
といった政策を考えているのなら,話は別であるが。
当該高校の生徒の主張は,まっとうなものである。
体罰を犯した教師は,もちろん処罰を受けなければならない。
しかし,責任は,校長や教育長にもそれにふさわしいかたちでとる必要がある。
明らかに,監督して指導する責任を放棄してきたと,私は考える。
「監督して指導している」ことにしているだけの,
管理職のあり方や教育委員会のあり方が問われているのである。
« 化石に近い教師の実像 | トップページ | 正体不明の「聖職者」擁護論者 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「ニュースより」カテゴリの記事
- 止まらないビールの需要減(2018.12.30)
- 五輪ボランティアの数字を見て(2018.12.27)
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- 愛校心によって大切なものを失った経験から(2018.12.16)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「学校評価」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
- 「怒鳴り殺し」の生活指導(2017.10.18)
- 9月19日 食育の日と給食大量食べ残し問題(2017.09.19)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント