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学力についての「無責任な発言」とは,このこと

>暗記力プラスアルファーがなくては、学力があるとは言えないということだ

>私の考えでは、暗記力プラスアルファーとは、覚えた知識を駆使して応用できることであり、そういう力が学力という用語にふさわしいと思う


 「暗記力」がベースになっている「学力観」など,

 まともな教師がつとめている学校現場には存在しない。

 学力のイメージは,学校教育法の第30条にある,

「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。」

 をベースにすべきである。

 基礎的な知識はなぜ「覚えさせる」のではなく,「習得させる」必要があるのか。

 「覚えた」「暗記した」に過ぎない「知識」は,テストが終われば「忘れ去られる」運命にあるからだ。

 基礎的な知識は,「覚える」ことで身に付く,と考えている教師はいないはずである。

 それを身に付けるまで,いろいろな体験や試行錯誤をくり返すうえで,自分の頭でしっかり「考える」ことをするから,「習得」できるのである。

 授業で穴埋めプリントを用意して,その(   )に入る言葉だけをただ黒板に書いてみたり,言葉で伝えるような授業では,基礎的な知識は「習得」されない。

 「暗記力」をベースに学力を考えるような人間には,教壇に立つ資格はない。 

 だれに向けて発信しているのかは不明だが,

 目糞鼻糞を笑う

 レベルの指摘である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より