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学校に求められる「CPU」

 コンピュータの中央演算処理装置のことをCPU(Central Processing Unit)と呼ぶことは,

 中学生でも授業で学んで知っている。

 では,ワシントンで使われている「CPU」とは何か。

 これは,「コミュニケーション・アンド・ポリシー・ユニット」といって,

 志と政策思想を共有する仲間のことで,大統領を支える側近たちである。

 2006年の安倍政権は,「お友達内閣」と呼ばれて批判された。

 「お友達」と何の面識もない一般人も,そのネーミングに影響を受けて,

 「望ましくない内閣」という印象を植え付けられた。

 マスコミの尻馬に乗る人間は多い。

 自分の頭で考えたつもりになっていることが,やっかいなことであるが,気の毒なことでもある。

 竹中平蔵は,日経ビジネスの1月14日号で,その批判への反論をしてきたことを述べている。

 上の「CPU」の話も,ここで紹介されている。

 「お友達」を「側近集団」と名付けても,日本語ではまだ「イメージ的に悪い」。

 日本の場合,内容はよくても,ネーミングが悪ければ,人は納得しない。

 逆に,ネーミングが良ければ(良さそうな印象を受ければ),内容がなくても支持される。

 今の教育界の,

 「言語活動の充実」

 とか

 「生きる力」

 などがそれに該当する。

 安倍政権の「CPU」と呼べばどうなるか。

 それは,結局,「そういう印象のいい言葉を使いたくない」という本音が見えてしまう質問になると言える。

 さて,「CPU」が必要なのは,政治リーダーに限ったことではない。

 学校リーダー=校長にも,「CPU」は必要である。

 学校には,主任たちで構成される会議が存在する。

 誤解も生むたとえで恐縮だが,

 それは株式会社なら,取締役会のことである。

 職員会議は,株主総会に当たる。

 (実際には,職員会議は,そういう目的で開かれるものではない。)

 主任たちで構成される会議で,学校の経営方針は固められる。

 本来は,この組織が「CPU」でなければならないが,

 主任には,「年齢が上」という理由だけでついている人が必ずいる。

 だから,本当の「CPU」は別にあった方がよい。

 しかし,日本ではそういう組織をつくると,「取り巻き」などと呼ばれる。

 「~チルドレン」と呼ばれる。

 実際には,校長を支えるのは,本当の意味での「CPU」である。

 ただそういう役職だから,仕方なくやっている,という人間たちではない。

 政治の世界では,「アーリー・スモール・サクセス」が重要である。

 教育現場にも,「アーリー・スモール・サクセス」をおこせる組織づくりが求められている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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