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「小学生攻略法」の次は「同僚の攻略法」?

 指導要録の意義が分かっていない小学校教師のブログに対するコメントは,残念ながら勝手に削除されてしまいました。

 学校の教師の「事務仕事」については,あまり知られていないことが多いものですが,一般の人が学校評議員になっても,こういう点をチェックする機能がないのは残念なことです。

 本来は校長の仕事ですが,行政の方でもそこまで細かいチェックはできない。

 やろうとすると,「通知表を出す前の通知表の内容の事前確認」なんていう,どうしようもない「指示」が飛び出してしまう。

 学校,行政,セットで「何をしているのか?」という思いは,O市の一件と同じようなレベルのものです。

 以前にこのブログでも紹介しましたが,

 「いかに充実した教育活動を行うか」

 ではなくて,

 「いかに教育活動をしっかりしたつもりに見せるか」

 「いかにラクができるか」(そういう本が小学校教師向けに何冊か出版されています)

 に熱意をかける教師は,なぜかそれをブログ上で公開することに時間を費やしているのです。

 しかも,学校運営がきちんと機能していないことを

 自分の勝手な「仕事術」によって公開してしまっている。

 そんなことを書いている私も,

 「学校運営とは何か」をきちんと語れるようになったのは,

 教育管理職の研修で勉強をしてからのことでしたが。

 時期的には,次年度の教育課程を提出する本格的な準備に入っているのが今です。

 来年度の予定もほぼ決まりつつあるところでしょう。

 学校の1年のサイクルは,本当にあっという間に終わってしまいます。

 一つの行事なり,大きな研究大会なりをふり返るのに,

 それが終わったしばらく後,というのでは「遅すぎる」のがPDCAサイクルの基本的な考え方です。

 企業では当たり前の話が,学校のように「成果」が見えにくい教育活動の場合には,

 常に「なあなあ」ですまされて,形だけの学校評価でお茶を濁しているだけのところが多いのです。

 基本的には,管理職が主導権を握っていて,主幹(各分掌主任)が何をいつまでにどうすべきかをしっかり理解したうえで,何のどこかどうようになぜ不十分だったかを考えながら職務を遂行しているかどうかを見ていなければなりません。

 校長があまりにも学校の中の仕事を副校長に任せ過ぎている現状が続くようなら,

 管理職は一人でも十分です。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より