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「山奥の僻地の学校」の教師を「見下す」人

 タイトルの話とは別のことから書くが,

 優れたリーダーは,「上から目線で話す」ようなことはしない。

 リーダーとはそもそもそういう「立場」ではない。

 はてなキーワードの意味が検索上一番上に出てくるからそこから引用すると,

 「目上でない相手から受ける、他人を見下すような雰囲気や言説」が

 「上から目線」の意味である。

 対等・あるいは自分より下の立場にいるはずなのに、相手の発言が上から物を言っているように聞こえるときに使う言葉。相手の人格を非難する言葉の一つで、言い換えるなら、まあ「偉そうなお前の態度が気に入らない」という感じ

 と解説している人もいる。

 
 この言葉を使う人間は,

 「目上でない人間が,自分を見下すようなことを言っている

 と言いたいだけなのである。

 リーダーシップが求められる場に,リーダーとして立った経験のない人にはわからないかもしれないが,

 リーダーというのは非常に孤独な存在である。

 そういう立場の人間は,「上から目線で話す」ように思われてしまうような失態はなかなかおかせない。

 「上から目線」というのは,立場でそうせざるを得ないでする,というものではない。

 「下の立場のくせに偉そうに」

 「たいして偉いわけではないのに」

 「ただ立場が上だというだけなのに」

 というのが,「上から目線」と表現する人の心にある感情である。

 

 自分が「下」ではないことを前提に,「上」とか「下」とかにこだわる人間は,

 何の抵抗もなく,

 「山奥の僻地の学校」などという表現ができる。

 
 そして,「優れた楽器をもっていても,それは飾りに過ぎない」というニュアンスの言葉が平気で投げかけられる。

 「上から目線」を「山奥の僻地の学校」の教師から感じたから,「上から見下ろす人」という内容の記事の中に,そのエピソードが登場したのである。

 結果も示して明らなように,

 「自分の方が上だ」ということを言いたいだけである。

 本当に,心の底から,

 「見下ろされること」が大嫌いなのである。

 「山奥の僻地の学校」などと呼んでみたり,

 「国語力が低い」と言ってみたり,

 「人を見下すこと」は大好きなのである。

 だから,「私は謙虚な人間が好き」という意味のことを書き続ける。

 「謙虚な人間はすばらしい」という表現が,人からどう受け止められるかということが,なぜわからないのだろう。

 
 自分自身は謙虚でないということを,なぜここまで徹底してオープンにしないと気が済まないのだろうか。
 
 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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