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怒鳴られることに慣れた子どもたち

 「怒鳴る」ことができる教師は今,どのくらいいるだろう。

 教師には,大声で怒鳴らないければならない瞬間がごくまれに訪れる。

 しかし,怒鳴ることが習慣になっている教師もいる。

 本人は,「怒鳴る」というより「大きな声で端的に指示を出している」つもりである。

 これが別の人から見れば,「怒鳴っている」ように見える。

 子どもは慣れているから,その声に敏感に,

 というか,条件反射のように反応し,指示に従う。

 あまり慣れ過ぎていると,そういう声は,ただの「スイッチ」に過ぎなくなる。

 「怒鳴られた子どもたち」が生き生きして活動している姿を見て,戸惑う教師がいるかもしれない。

 「慣れ」の問題は,「体罰」も同じである。

 「体罰」も,単なる「スイッチ」にすぎなくなる。

 私もバレーボールの顧問をしていたときに,練習試合の会場で見たことがある。

 選手の動きが,見違えるように変わるときがある。

 慣れていない顧問が物まねでそういう行動に出ると,生徒は委縮してかえって動きが悪くなるから,

 子どもが「慣れているか」どうかが,よくわかる。

 こわいのが,この「慣れ」なのである。

 人間は「習慣の奴隷」なのである。

 体罰も,強圧的な指導?も,「空気のように当たり前」になってしまう「こわさ」を,

 今の時代,おそらく,一度も味わうことなく教職を続けられてしまう人がほとんどだろう。

 その代わりに,「指導できない教師」というのが「空気のように当たり前」になってしまう現実の問題も深刻である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より