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化石に近い教師の実像

 大学が改革の嵐に巻き込まれて,

 「化石」のような教授たちがアップアップしている一方で,

 まだ小学校の現場は,「化石」の宝庫である。

 私は,「化石」には「化石」なりの良さもあると考えている。

 それは,「標本」としての価値である。

 「失敗学」の「教材」である。

 久しぶりに,その「化石」にブログ記事で出会えた。

 記事づくりの趣旨は一貫している。

 「責任逃れ」である。

 そして,「批判」「反対意見を受け付けない」ことである。

 書かれていることから伝わってくるムードは,あの体罰教師が子どものころの教育の話である。

 書いている人は,あの体罰教師より少しだけ上の年代の教師である。

 本当に,懐かしいにおいがする。

 あのころの教師のにおいである。

 こういう教師が,再生産されている地方があるのだ。

 むしろ,都市部の学校で再生産されており,地方は「新・新人類」の鍛錬の場となっている。

 体罰への意識が過剰であるのは,仕方がないが,

 視野が狭すぎる。 

 その人物は,

 生徒の意見表明を否定するばかりか,

 教育委員会を擁護している。

 見識の低さにあぜんとするばかりである。

 教育委員会の姿勢の意味がわかっていない。

 「ばれたからだめ」「問題になったからだめ」という姿勢の意味が。

 この人物には,生徒の死が意味していることがわかっていない。

 26年も教師をしていると,

 こういう「化石人間」になってしまうのか,とあらためて情けなく思う。

 中国や北朝鮮で教師する方が,日本よりしっくりくるのではないか。

  
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より