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体罰依存症は,まだ表面的な問題に過ぎない

 体罰で「補完」する教師の姿勢は,教育問題の一面でしかないことに,もっと多くの人に気づいてほしい・・・・どうしてもマスコミだよりの考え方になってしまうかもしれないが・・・。

 学校教育が,社会のルールとは別の「慣習」のもとに行われていることを,改革すべき重要な問題であると提起してくれる人はいないだろうか。

 たとえは悪いかもしれないが,律令制は廃止になっていないまま,武士の政治が始まった。

 律令制は完全に過去のものではなく,現在でも引き継がれているものがある。

 この律令制を今の法律におきかえて考えると,学校での慣習は御成敗式目にあたる。

 武士の慣行を成文化したものが,御成敗式目である。

 学校の慣行には,不文法・不文律に基づいているものがある。

 この代表が「体罰」である。

 これ以外にも,授業を自習にしてまで,つまり,本来は専念すべき職務を放り出してまで,学校外の用務で出張させることがあるという慣行もある。

 勤務時間が過ぎても,部活動の指導は行う,

 土曜日曜も試合を組む,というのが,一部の(多くの)教師にとっては都合が悪い不文律である。

 いい加減な授業をして,いい加減な評価をしても,

 責任は問われない,というのが不文律である。

 日本社会には,強い要素もある。

 が,反面,自分たちのルールで勝手に動く,という弱いところがある。

 その「弱さ」を「強烈に教育している」のが,学校という場所である。

 それが「強さ」の原動力になっているから,やるせないわけである。

 「体罰」だけを見ていては,学校は変わらない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より