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6・3・3・4制を見直す前に・・・

 「教育再生」という言葉を聞いても,

 自己反省や自己評価の機能及び能力が不十分な「学校」という社会のみで生きてきた教師たちには,意味がわからないだろう。

 小学生を1週間,中学校という「世界」で生活させてみれば,そのあまりのギャップに驚くことだろう。

 小学校の教師が,最も自信のある教科で,「その続き」を中学校で授業してみたらどうだろう。

 中学校の教師が,小学校で専門の教科を教え始めたらどうだろう。

 小学校の教師で,4年間,「地図帳」を上手に使いこなせるように子どもを教育できた人はどれだけいるだろう。

 その「結果としての子どもの姿」は,中学校の教師ならよくわかる。
 
 まず教師自身が,「教育再生」の必要性を痛感するような場をつくることが大切だと考えている。

 本当の意味での「教育再生」は,

 「教師の指導力の向上」抜きには達成し得ない。

 ただの小中一貫に,賢い保護者が期待を寄せるわけがない。

 学力上位層が中学受験で一気に抜けるのを防ぐ策も考えるだろう。

 子どもの高い能力を信じて,

 中学受験をする子どもたちが学んでいる内容を,多くの子どもに体験させるのもいいだろう。

 しかし,その結果は,

 小学校の教師が「学力の本当の格差」に愕然とするような事態が生まれるだろう。

 自分たちが,何をしてきたのか,その意味を見失うことにもなりかねない。

 中学受験を経験せずに,より高い学力を身に付けることができる学校が期待されている。

 そのためには,より高い指導力が発揮できる教師が今まで以上に求められる。

 制度が変わっても,

 それを動かす人間が変わらなければ,ただ混乱するだけになってしまう。

 指導要録の記載すら,基本的な理解がないような学校現場である。

 何かを変える前に,

 今,なすべきことがなされていない現状をどうにかしなければならない。

 そういう意味での「教育再生」が何よりも大事である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より