学力とは ~量より質の話を~
根本的な学習観・指導観がずれているから,
量でごまかそうとする行動にでる。
内容が乏しいから,恥の上塗りになっている。
学習の質より量を重視していることが,文章からひしひしと伝わってきてしまう人がいる。
以前に紹介した話だが,
ある図工の公開授業で,教師が
「のびのびとした自由な子どもらしい色で表現させる」
ことを目標にして指導を行った。
私には,子どもはのびのびと自由に描いているようには見えなかった。
その理由は,授業中に教師が授業の感想を述べさせてくれたのでよくわかった。
何人の子どもに聞いても,
答えは一つ。
「はみださないで塗ることができました」
ふだんから,教師の言うことはこれだけだったのだ。
教師の指導に子どもは本当によく従っていた。
その結果,のびのびと楽しく絵を描くという時間にはなっていなかったのだ。
授業実践というのは,それだけ「怖い」ものである。
さて,量でごまかそうとするのは,
学力が低い生徒がレポートでいい評価をもらおうとするときに陥る特徴の一つでもある。
文章量は多いが,同じことの繰り返しである。
電気のしくみをどれだけ書こうが,
「学力」向上の話には結びついていない。
こういうのを「ピンポイント思考」というのだろう。
認知スタイルでいえば,「場依存型」である。
こういうタイプの人は,外発的動機づけの条件下ではよりよく学習するが,学習には明確な教授が必要となる。しかし,それをしてくれる人がまわりにいないので気の毒である。
また,「集中型」「収束型」思考の持ち主である。
事例の紹介の仕方から言うと,「演繹型」の思考スタイルを重視していることもわかる。
すでに知られている法則・原則を具体的場面に適用することによって理解することを好む。
さらに,「反省型」ではなく,「直観型」であり,一度気に入らないと判断すると,自分自身への批判をいっさい忘れてしまう。
何も自己批判はしていないのに,なぜか「自分も反省したい」という言葉だけは残しているところも,ワンパターンである。
「理科の教師が間違っていた」というスピーカーの話をもとに「学力を語りたい」という衝動はどうしてもおさえられないようであり,話の繰り返しが多い。
学力を語る上で大切なのは,
「理科の教師が間違えた」ことを指摘することではなく,
「ある誤解は,どのような条件のもとで生まれるのか」
「そのような誤解を防ぐには,どのように『問う』ことが適切なのか」と問い,
それを指導にどう生かすかを考えることである。
価格の変化に関する問題を出すときに,
「需要量が増えました。価格はどうなりますか?」
と教師が問うとする。
生徒は,どう反応するのが正しいか?
ある質問をしなければ,正しい答えを出すことはできない。
「供給量は変化しなかったのですか」
常に,「問い」が大切なのだ。
演繹型の思考だけでなく,帰納型の思考もできるように,
集中型の思考だけでなく,拡散型の思考もできるように,
直感型の思考も大切な場合があるが,反省型の思考がしっかりとできるように,
試行錯誤型の思考も大切にして,洞察型の思考と行動ができるような人間に育てる。
これが教師のつとめである。
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