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体罰の「黙認」は「公認」と同じこと

 体罰関係では,昔,A県の問題を取り上げたことがありましたね。

 管理教育と体罰は今でもセットであるようです。 

 子どもは,家で親に殴られ,学校では教師に殴られ,そして弱い生徒を殴る。

 とても簡単な「方程式」があるのです。

 さて,教師向けの本で,

 いかに手抜きで授業をするか・・・・これは,板書の仕方まで紹介した本で「授業」の準備をするようなことを指しますが・・・・というものはたくさん目にしますが,

 部活動の顧問として,どうやって生徒を伸ばすか,

 というものはあまり目にしません。

 ゲーム世代の教師が「攻略法」などという,

 無神経な言葉を開けっぴろげに語っていますが,

 「正解を本から探す」という発想の人間には,まずつとまらないのが中学校の部活動の顧問です。

 若い先生に「子どもの殴り方」を教えているベテランの先生は,A県ではまだ健在なのでしょうか?

 そんな内容は本に載せられませんね。

 部活動が「弱い」学校,「いい加減な」学校に赴任すると,ほっとする教師も多いでしょう。

 自分もさぼれるから。

 一方,部活動が「強い」学校,地域も子どもも非常に熱心な学校に赴任すると,もうそのプレッシャーだけで教師が続けられなくなる,という人もいます。

 今までずっとコンクールで金賞を取り続けていた学校で,自分が顧問になったとたんに賞がとれなくなれば,普通の人間なら責任を感じるでしょう。

 運動部などはもっと悲惨で,審判ができないと,それだけで「迷惑な顧問」扱いになってしまう。

 審判ができないということは,競技経験はもちろん,ルールも分かっていない顧問も中にはいて,子どもの力を伸ばせずに親をがっかりさせることになってしまうのです。

 そういう教師が,運動部の練習試合で,いえ,大会の会場でも平気で子どもを平手打ちしているような場面に出くわすと,反応はいくつかに分かれます。

 「これが教育か?」

 「そこまでして,勝ちたいのか?」

 最悪なのは,「ああすればよいのか」と誤解してしまうケース。

 これが,運動部だけで起こっている問題とは限らない,ということを,知っている人は知っている。

 子どものいじめの暴力などと違って,

 部活動中の体罰は,

 「他の人間に見せる効果」もねらって行われるので,

 「目撃者」はたくさんいるはず。

 「傷害の現行犯」がそこにいるのに,多くの場合は,「しかたがない」と見て見ぬふりをする。

 保護者の目の前で行われていても,

 「土日も本当にお世話になっている」という気持ちから,本気で問題にしようとしない。

 「~先生だから,いいか」ということになってしまう。

 管理職も,だれがそれをやるかくらいはわかっている。

 だから,そういう人間が引率している部活動には,管理職は帯同したがらない。

 体罰をなくす気があれば,やるべきことはいくらでもあるのに,やらない。

 体罰を本気でなくす気がないのが,今の学校現場だということです。

 教育委員会も,冊子をつくって配るのに,

 今までいくらお金をかけてきたことでしょう。

 配る相手は,一部だけで十分なのに。

 いえ,結局冊子などを配布しても,効果はないですね。

 体罰は,法律で禁止されているから,やってはいけない,というものではありません。

 なぜその法律があるかをまず理解しなければ。

 いじめでもそうですよ。

 「黙認」というのは,「公認」と同じです。 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より