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愛に飢えている人たち ~人を差別する人間の心の貧しさ~

 なぜ,体罰をふるう教師の中に,子どもたちから絶大な信頼を得ている人間がいるのだろう。

 なぜ,体罰など絶対ふるうことはない教師なのに,子どもたちから「見捨てられる」人間がいるのだろう。

 それは,「教育愛の違いである」と語る人がいる。

 親が子どもに体罰をするとき,

 「これは愛情表現だ」という人がいるだろう。

 常態的な体罰が愛情表現とは思えないが,

 子どものとき,親に殴られて初めて,

 「親として,本当に心配してくれていることがわかった」

 と改心した経験のある人は,少なくはないだろう。

 学校現場では,

 「おれはお前たち生徒を愛している」などと口にする人間は,まずいない。

 「わたしはみんなが好きだ」と口にした小学校教師はいたらしいが。

 本当の教育愛を求めている子どもは,

 そんなことを「口にする」人間を信用しない。 

 子どもは大人の言葉を簡単には信用しない。

 なぜなら,いつも「言葉」とは異なる「行動」をとるのが大人だということを知っているからだ。

 愛は,その言葉そのもので伝わるものではなく,態度で伝わるものである。

 本当の教育愛を感じたことがない人は,

 「愛がわかる人」「愛がわからない人」に分類できると考えてしまう。

 「愛を知る人」と「愛を知らない人」がいるという分類こそが,人間に対する最大の冒涜である。

 「愛を知らない人」を差別し,見下し,こきおろすという態度をとる人間に,

 どうして「愛を語る」資格があるといえるのか。

 「愛」とは何かが,わかっていないのだ。

 それはある意味で,本当に気の毒な人である。

 私は,孤独に耐える方法の一つとして,人を傷つけて生きている子どもを何人も見てきた。

 その子も,決して「愛を知らない」わけではないのだ。

 「愛に飢えている」人は,愛は「与えられるべきもの」ではなく,「与えるべきもの」であることを知らない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より