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こんな人が現場の教師だったとしたら・・・

>よほど変なことをしない限り、いちいち、文部科学省の指導要領はどうなっているかを気にする必要はありません。

>それは、文部科学省は大筋を示し、実践は現場に任せているからです。


 教師の中には,学習指導要領の解説を読んでいないと思われる人がいる。

 上のことを書いているのは音楽の教師だったから,

 音楽という教科は,それで何の問題もないものなのだろう。

 入試に関係がない教科というのは,こういう言い方をすると失礼だが,

 気楽な仕事である。

 私のように音楽の時間は物思いにふける時間と決めていた生徒にとっては,

 ただCDを流すだけの教師が本当にありがたかった。

 指導要領など必要ないのである。

 ついでに言えば,免許など必要ない。

 実践の話はほとんど書いていないのに,なぜか中学校教育のカテゴリに参加している。

 音楽の専門家なのに中学校教育に役立つ音楽の実践を持ち合わせていないのか,

 音楽教育のカテゴリには参加していない。

 言っていることとやっていることの整合性が全くとれていないブロガーでもある。

 この人は,平成14年度にはまだ教育現場にいたはずである。

 しかし,今,現場に苦労をかけている評価のことを全く知らないようだ。

 でなければ,冒頭の2つ目の文は出てくるはずがない。

 おそらく,自校の教育課程も分かっていない。

 そういう教師が現実としてたくさんはたらいているのも事実だろう。

 この私自身も,初任者のときは,いくつかの学校の教育課程を並べられて,どれがあなたの学校のものですか?と聞かれても,正しく選ぶことができなかっただろうと思われる。

 教育課程には,非常に重要なことが書かれている。

 しかし,それを知らないでも,その学校の教師がつとまる。

 メニューに書いてある料理の材料が何もない,

 その調理もされない,提供もされない,そういう学校がふつうに成立できてしまうのが,

 「教育課程の管理」がなされていない今の公教育の実態である。

 高校の「未履修問題」のように「わかりやすい不正」ならいいのだが,

 小学校の学級王国の内部では,何が起こっているのかを正確に把握するのは不可能だろう。

 
>よほど変なことをしない限り、いちいち、文部科学省の指導要領はどうなっているかを気にする必要はありません。

 
 本当によほどのことがない限り,こういう教師を現場から去らせることができないのがくやしい限りである。

 免許更新制の見直しにも,早急に着手してほしい。
 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より