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学力をめぐる1960年代の話

 半世紀以上前の学力の話をくり返している人がいる。ご隠居は,長閑でうらやましいものである。

 非常に閉ざされた世界で生きていると,学力観も時間が止まったままになってしまうらしい。

 全国一斉学力テストが導入されたのが,1961年。

 このとき日本教職員組合は,「学テ反対闘争」を宣言した。

 そして,どういう成果を現場に残してくれたのか?

  話がそれるのでここではふれないが,

 学力調査が復活しても,

 「学テ反対闘争」という「歴史」は繰り返されなかった。

 そして,現場は今,どういう成果を残しているのか?

 「教師の質が下がった」と言われる理由の一つに,

 私の周辺では,

 「教育論を戦わせるような場や機会がずいぶんと減ったこと」を挙げる人がいる。

 それを嘆いている人がいるということは,今でもやっていることを意味するが,

 本当は,この教育ブログでも,「教育論で戦う」ことがあってもいいはずである。

 だが,それがなかなかできない。

 ある人は,議論をいっさい望んでいないし,ある人は,鏡に向かって説教しているだけである。

 識字率と国語力を同列に並べるようなドンデモ「学力観」など,化石そのものである。

 それだけ,学校の教師の頭の中というのは,「変化」に対応できない仕組みになっているのではないか,という危惧さえ感じる。

 それを突破するには,「議論」しかない。

 私には,なぜそれほど低レベルな話を堂々と公開できるのかが不思議でならない。
 
 「教育」をどうしてそこまで甘く考えられるのかが不思議でならない。

 実践ができない立場なのに,教育を語る資格がない,とは言わない。

 ただ,「自分のようになってはいけない」というメッセージを発してほしい。

 50年前に読んでも何の違和感もないだろう,という文は,ある意味では貴重である。

 教育の本質に大きな変化はないはずだからだ。

 しかし,シリーズものに何の変化も内容の豊かさもないのは,さびしくてならない。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より