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「体罰の調査」という間抜けな指示

 「あなたの自治体では,法律違反がどのような頻度で,何回くらい行われていますか?」

 という「アンケート調査」あるいは「電話調査」を各教育委員会事務局がすることになるらしい。

 下村文科大臣が本当に言い出したのかどうかわからないが,

 国会などで「実態はどうなっているのだ」

 という質問が出されれば,

 調査をしてから答えることになる。

 一般市民からみても当たり前のように思えることだろうが,

 実態はそんな方法ではつかめない。

 嘘をつかれて終わりである。

 「回数を聞かれても,多すぎてわからない」という人もいるだろう。

 官僚をみんな集めて,自分の中学校時代のことを思い出させてみてはどうか。

 自分が体罰を受けた経験がある人は,官僚には少ないかもしれないが。

 実際に受けたことがある人は,教師の名前を忘れてはいないだろう。

 名前もわからない教師に殴られるほど,公立学校は落ちぶれてはいまい。

 実態の解明は,進まない。

 だからそのうち,

 「いじめ相談電話」のような

 「体罰相談電話」が設立される。

 その結果,体罰によって子どもとの信頼関係を築いている教師の話は一切聞かれず,

 子どもとのコミュニケーション能力がない教師が標的となる。

 「体罰の実態調査」をして,

 何がわかるか?

 「信頼されている教師の体罰は許されている」

 「体罰をした後のフォローがうまい」

 「スポーツの世界では,活を入れるという目的で体罰が行われる」

 それがわかっておしまいか?

 それとも,

 本格的に「狩り」を行うつもりだろうか?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より