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中学校における「発表活動」を充実させるために

 小学校への生徒の「出張」が,中学生に与える影響は大きい。

 小学生にも大きな影響を与える。

 小学校の教師にも,そして,中学校の教師にも。

 お互いに恥はかけない。

 そういう「見栄」でもはる機会がないと,公立学校の質は向上しない。

 さて,小学校に出かけて中学生の発表活動を見せることで恥をかくのはあまりない。

 しかし,中学校の普通の授業で発表活動を見せると,

 あまりの質の低さに目をおおいたくなるような状況が多くある。

 昨年の「全国大会」でそれを見ることになるとは思いもよらなかった。

 発言の「禁止依頼」というか「禁止命令」を受けた経緯はそのときに述べたと思う。

 「偉い先生」は,直言はできない。

 しかし,私のようなフリーの立場の人間なら,大事なことを直接「全国の先生」に伝えることができたのに,残念である。

 中学校における「発表活動」を充実させるためには,

 「発表することに楽しさや意義を感じられる」課題を用意しなければならない。
 
 原稿の棒読みで終わるなら,原稿を印刷して読ませた方が早い。

 総合的な学習の時間のように,生徒が各々皆,自分の興味や関心に基づいて調査・研究したことなども,たしかに「発表」する機会も大事だが,それを聞く側の学習にならないことが多い。

 「発表活動」は,同時に「聞く活動」であり,「考える活動」である。

 ただ「発表しているだけの活動」になってはいけない。

 学校によっては,実は,この「ただの発表」すら難しいところがある。

 先日,訪問した学校では,こんな経験をした・・・・。

 (次回に続く)

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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