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「私はひいきはしない」と断る教師の情けなさ

 子どもが教師に対して,

 「あの先生は~に対してひいきをしている」

 と感じるのは,その子どもの個性であり,教師はそれをコントロールすることはできない。

 吹奏楽の顧問だけをやっていればすむような人間でも,

 隣の合唱部が「少し私たちの面倒も見てください」と頼まれて,

 言うことを聞くようものなら,吹奏楽部からは「何で違う部活を見るのか」と苦情を言われ,

 聞かなければ,「ケチ」と悪態をつかれる。

 勉強が苦手な子につきっきりで指導すれば,それはもっと上を目指して勉強したい子からみれば,ひいきである。

 これはあくまでもたとえである。

 人間は,立場の異なるすべての人間の希望をかなえることはできない。

 でも,強い要求がある場合がある。

 結局,「私はひいきしない」と厳密に言える人間は,

 何もしない人間

 何もできない人間 

 ということである。

 政治家ではない人間が,「自分がもし政治家になったら・・・」などと言って,信用されるか?

 一応,票を獲得し,信託を受けたかたちの人間が行うのが政治である。

 実際に,部活動がない学校では,何もしないですむのが小学校の教師である。

 部活動がない中学校はまずあり得ないだろう。

 自分が負っている責任がない人間は,そもそも人をひいきできるような立場にも立てない。

 責任を負う人間というのは,いろいろな意味で板挟みにあう。

 政治家の批判をするのは簡単である。

 政治家には,あらゆる批判から逃れられない宿命がある。

 教師は,「ひいきをしている」と批判されることをおそれてはいけない。

 すべての人の面倒を同時に見ることはできないのである。

 荒れている学校の教師たちの中に,問題行動を起こす子どもばかりかわいがる人間がいる。

 私から見れば,完全な「ひいき」である。

 こういう学校は,いつまでたってもよくならない。

 何もできない立場の人間の口を封じることは,許されない。

 しかし,何もできない立場の人間があれこれ書いていることを不快に思う人は少なくないだろう。

 教育ブログには,

 「対比」という思考にもとづく表現の意味がわからない人間がいるようである。

そこに「書かれていないこと」を類推することができない人間である。

 こういう人間は,「正解」がある国語の読解の問題は解けても,社会でのコミュニケーションはとれない。

 その証拠をわざわざ自分で開示してくれている。

 しかもその主役は自分である。

自分が嘘をついていることに気づけない人間は,自分を「嘘つきではない」というのは当然だろう。

 こういう人間が「ひいきをしない」などと口に出して教育にたずさわってきたとすると,ある意味,不気味である。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より