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「つまらない授業」という名の貧困な学習姿勢

 教師が子どもから「つまらない授業」と評価されると,やはりつらいことだろう。

 ただ,子どもがなぜ「つまらない」と感じたのか,まで,しっかり聞き取りをしなければならない。

 多くの教師は,「なぜその言葉が発せられたのか」を考えることをあまりせずに,

 「言われた言葉」だけを相手に,怒ったり悲しんだりする。

 それを,「忙しさ」のせいにして,逃げる教師も多い。

 しかし,大切なのは,「なぜ子どもがその言葉を発したのか」を知ろうとする態度である。
 
 その態度なり姿勢なりが子どもに伝われば,子どもは教師に気をきかせて,教師が本来は気にする必要のない言葉だったことを教えてくれる場合もある。

 たとえば,いつも教師の話に対して,教師には聞こえないが隣にいる自分にだけは聞こえるようにおもしろい「つぶやき」をしていた生徒が,今日に限ってしなかった場合。

 「隣の生徒のいつものつぶやきが聞けなくて」つまらない授業だった,ということだ。

 あるいは,いつも,大したことないことを考えていたので,挙手して当てられなくても気にはしてこなかったが,今日だけは,自分なりの満足のいく思考ができて,発表したかった,が,指名されなかった,だから,つまらない・・・・なんて場合もある。

 この場合は,その子の気持ちがくみとれなかった教師にも責任があり,「気にする」必要があるのだが。

 さて,子どもの立場からみて,「本当につまらない授業」というのは,数限りなくあるだろう。

 しかし,これを大人(教師)が授業を受けていたという状況で考えると,大人(教師)が「つまらない授業」と評価することは,残念ながら学ぶことへの貧しい態度の表れとしかみることができない。

 一般人ならしかたがないが,教師は,教える立場である。

 教える立場の人間であるにもかかわらず,「つまらない」と思ってしまうような態度をとる以上,おそらくそれは「受け身」でその場にいるにすぎないのである。

 こういう教師に,「受け身」で授業に臨んでいる子どもを責める権利はない。

 今日は,発言が乏しい,などと嘆いている場合ではない。

 自分も同じなのである。

 「本当におもしろい授業」は,場合によっては,その場にいることが耐えられなくなるものかもしれない。

 今日は,「飛ぶ教室」を読んだことがない人たちに出会って驚いた。

 学ぶとは何かを教えてくれる本のひとつである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より