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「ゆとり世代」への攻撃とお詫び

 これからしばらく,「ゆとり世代」の新社会人が続く。

 小中学校で,他の世代と比べ,受けた授業の総数が少ないというのは事実である。

 教科の学習時間を減らされただけでなく,「総合的な学習の時間」という学校格差の大きな授業を受けてきた世代の人たちが,今後,何かにつけて「ゆとり世代」と揶揄されるのは,宿命のようなものである。

 「ゆとり」の中で,何を学んできたのか。

 この世代の人たちには,逆に発信してほしいことがある。

 「総合的な学習の時間」で,自分たちに身についた力は何か,ということである。

 「生きる力」を懸命に育成されたはずの世代である。

 では,この世代の人たちにとって,学校時代にはぐくまれてきた「生きる力」とは何なのか。

 選挙では,教育の話題が上がることがまずない。

 目先の問題ばかりである。

 そういった目先の問題を,この教育ブログで展開する人もいる。

 教師の立場から言うと,選挙を前にした「目先の問題」とは,

 若い人が選挙に行かないという問題である。

 「だれが内閣総理大臣をやっても同じ」などと,多くの若い人たちは「本気」で思っている。

 そのことと選挙に行かないことは別だと思われるが,それが「選挙に行かない正当な理由」になっているようである。

 アメリカの場合は,政治や選挙は,クールな話題だそうである。

 日本の場合は,「だれがやっても同じ」と公言するのがクールなスタンスだとみられる。

 悪しき伝統である。

 こういうムードをつくっているのは社会だ,と教師の立場で切り捨てることはできるだろうか。

 社会科教育は何をしていたのだ。

 学校における自治活動とは何だったのか。

 自らに問わないといけない。

 「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」教育を受けた世代は,今,何を思っているのだろうか。

 これがもし本当の「失敗」であったのなら,

 そのことを「ゆとり世代」が本当に自覚しているのなら,

 それを今,あるいは,後世に伝えてほしい。

 私たちは,「お詫び」をしなければならない。

 逆に,自分が受けた教育のおかげで,今の自分がある,という人は,そういう声も届けてほしい。

 私の予想では,「ゆとり世代」というのは,死語になりにくい言葉である。

 「いい理由」よりも,「悪い理由」を人は探したがる。

 その「悪い理由」として最もわかりやすいのが,「ゆとり」だから。

 まだ,「総合的な学習の時間」は各学校で行われている。

 その本当の意味での「検証」はできていない。

 教科書がないから,一般の人にはわかりにくい。

 テストがないから,わかりやすい評価ができない。

 学校によって異なるから,一般論が言いにくい。

 しかし,「やめるべきもの」と多くの人が実感しているのなら,なるべる早く「やらない」という選択肢を与えた方がいい。

 私の予想では,「やらないでよい」ということになれば,「総合的な学習の時間」は一斉になくなると思われる。

 逆に,中学校では,選択教科が復活するようになるだろう。

 平成10年版の学習指導要領の「課題」は,まだぬぐいきれていない。

 この指導要領は,教師の高度な指導力と,地域や社会のバックアップがなければ,理想が実現できないものだった。

 平成20年版の学習指導要領には,「ゆとり脱却」という側面もあるが,「つけたし」スタンスもある。

 落ち着いて考えてみれば,「つけたし」というより,「否定」の意味が隠れていることに気づける。

 「言語活動の充実」というが,そんなことは,「総合的な学習の時間」でめいいっぱいできていたはずである。

 むしろ,「総合的な学習の時間」の成果が,「言語活動が充実し,思考力・判断力・表現力が伸びて・・・」という「よい影響」であるはずだった。

 しかし,学習指導要領の改訂では,いつも「前のではダメだから変える」というのが一般の人の感覚であろう。

 実際にそういう側面があるから。

 とりとめがない文章になってしまったが,勢いのまま,掲載することにする。

 「お詫び」を教育界がすべきかどうかは,「検証」を経てからにしたい。

 「ゆとり世代」の声を待ちたい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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