受け身の人間ばかりをつくる教師が語る決まり事
書いているものを読めば読むほど,その人がどういうタイプの人かがよくわかる。
実際の指導を具体的に書いてしまっている愚かな人は,関係者はその内容を知っているから,「いいことしか書いていない」ことがばれてしまう。
「書けないこと」が山ほどあるのが教育現場である。
そして,「書けないこと」が山ほど起こるのも,教育現場である。
書く量が減っている,書く頻度が減っている,これは
「書けないことが頻発している事態が起こっている」などという勘繰りを招きかねない。
また,「いいことをしたつもり」で,自分の指導を具体的に書いてしまっている愚かな人もいる。
裸の王様が最後に味わう屈辱は,私には想像できない。
自業自得と笑えるゆとりはない。
さて,教師の中には,「受け身の人間」ばかりをつくるのが好きな人がいる。
それなのに,「指示待ち人間が増えている」と嘆いている。
自分がまいた種であることに気づけない。
こういう「勘違い」に敏感であるためには,常に冷静に状況を観察することが大切である。
子どもを感動させるのが大好きな人がいる。
子どもに感動を与えることが好きだと,口先だけで言うのは簡単である。
たとえば全国大会で最優秀賞をとり,感動を味わうことができるためには,何が必要か。
映画や音楽を聴いて感動するのは,家でもできる。
金を払えば,それを仕事にしている人から「与えらえる」。
教育はそれではダメなのである。
感動が大切だなどと公言するタイプの教師は,実は自分がそのことに酔うたことが目的だったりする。
そういう「本心」が見透かされてしまっている教師は,子どもの近くにいない方が,子どもは本当の感動を手にできる。
受け身の人間ばかりをつくる「原動力」は,
教師による子どもに対する「評価」である。
逆を行うだけで,教育のあり方は一変する。
ただ,それに耐え得る教師があまりにも少ない。
教師が教育を語れない理由がそこにある。
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