音がはずれたらどうする?
私は音楽には興味がない。
そのわりに,下手くそな演奏は許せない。
楽器は,音をはずしてはいけないものである。
と,何となく信じている。
音をはずした時点で,すべてがぶちこわしになる。
「音をはずさないでくれる」ことを望む。
しかし,音楽の先生は,そんな「過敏」な神経ではつとまらないだろう。
何しろ楽譜は読めない,真面目にやる気がない,そういう子どもを相手にしなければならない教師は,音がはずれたからどうとか言っている場合ではない。
まだはずれるのがわかることをしてくれるだけましである。
ここで何が言いたいのかといえば,次のエピソードである。
はずれた音に合わせて声を出し,ガチャガチャな合唱を何とかまとまりのあるものに変えてしまう能力をもった音楽の先生に出会ったときは驚いた。
技術でどうにかなるという問題なのかどうか。
吹奏楽の楽器には,そういう芸当ができるものはあるのだろうか。
今,子どもに育てようとしている学力は,
予想どおりの質問に,あらかじめ決まっているような答えを導く,というものではない。
はずれた音に合わせて声を出し,全体を調整してしまうような力の育成をめざしている。言うまでもないが,これは「たとえ」である。
「指導」とは,ある方向に「導く」ことをいう。
自分で話すだけ話し,あとは放置することを「指導」とはいわない。
「導かれた」子どもは,自分で何をどうするかがわかっている。
だから,教師が「~してくれない」と嘆くこともない。
あの記事はおもしろいタイプの「ミラー現象」がおこっているので興味深い。
まぎれもない,裸の王様である。
音ははずれているが,裸の王様には,正しい音として認識されている。
こういう場合は,「どうしようもない」のである。
しかし,「どうしようもない」状態であることに気づけない状況は,本当にお気の毒である。
今,そこで行われている授業はどうですか?
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