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音がはずれたらどうする?

 私は音楽には興味がない。

 そのわりに,下手くそな演奏は許せない。

 楽器は,音をはずしてはいけないものである。

 と,何となく信じている。

 音をはずした時点で,すべてがぶちこわしになる。
 
 「音をはずさないでくれる」ことを望む。

 しかし,音楽の先生は,そんな「過敏」な神経ではつとまらないだろう。

 何しろ楽譜は読めない,真面目にやる気がない,そういう子どもを相手にしなければならない教師は,音がはずれたからどうとか言っている場合ではない。

 まだはずれるのがわかることをしてくれるだけましである。

 ここで何が言いたいのかといえば,次のエピソードである。

 はずれた音に合わせて声を出し,ガチャガチャな合唱を何とかまとまりのあるものに変えてしまう能力をもった音楽の先生に出会ったときは驚いた。

 技術でどうにかなるという問題なのかどうか。

 吹奏楽の楽器には,そういう芸当ができるものはあるのだろうか。

 今,子どもに育てようとしている学力は,

 予想どおりの質問に,あらかじめ決まっているような答えを導く,というものではない。

 はずれた音に合わせて声を出し,全体を調整してしまうような力の育成をめざしている。言うまでもないが,これは「たとえ」である。

 「指導」とは,ある方向に「導く」ことをいう。

 自分で話すだけ話し,あとは放置することを「指導」とはいわない。

 「導かれた」子どもは,自分で何をどうするかがわかっている。

 だから,教師が「~してくれない」と嘆くこともない。

 あの記事はおもしろいタイプの「ミラー現象」がおこっているので興味深い。

 まぎれもない,裸の王様である。

 音ははずれているが,裸の王様には,正しい音として認識されている。

 こういう場合は,「どうしようもない」のである。

 しかし,「どうしようもない」状態であることに気づけない状況は,本当にお気の毒である。

 今,そこで行われている授業はどうですか?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より