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学校は無免許でも勤まる職場

 教師の学習指導というのは,各教科の目標に照らして,生徒の学習状況からある程度の水準に達しているならば,それなりに職務を遂行しているとみなされる。

 法的には,免許がないと教えられない。

 しかし,免許がなくても,きちんと学習指導ができる人がいる,ということだ。

 免許があり,かつ,採用試験に合格した教員でも,きちんとした学習指導ができない人がいるのに。

 考えてみれば当たり前のことである。

 大学で単位をとって,教育実習をこなせば,だれでも教員免許がとれる。

 どんな教育水準の大学でも,免許はとれるのだ。

 教育実習で単位を落とす学生は何%いるのか(いてくれるのか)。

 教員免許更新講習で,免許の更新ができない教員が何%いるのか(いてくれるのか)。

 取得時点で試験がいらない免許制度であることに,おそらく近いうちにメスが入ることだろう。

 一度,実験してみたらおもしろいのではないか。

 教員になるための単位を全くとっていないが,教えるのが上手な人と,

 教員になるための単位をばっちりとっていて,教えるのが下手な人に,

 模擬授業をさせてみて,どっちを採用したいか,と聞いてみたら。

 資格をとっているから信用ができる,なんて,簡単な話ではない。

 裁判員制度がなぜできたか,そのきっかけを考えるだけで,すぐにわかる。

 今回の「無免許」授業の問題は,私立高校に限らない話であろう。

 それは,「免許はあってもなくても関係ないんじゃない」という見方がなされるからだ。

 何しろ,地域の塾の先生が,学校で算数を教える時代になったのだから。

 高校の教育は,どこの話とはいわないが,完全に受験のための塾と同じことをしている。

 これが日本の「人気のある」教育

 「国民からの支持を受ける」教育なのだ。

 こういう教育を,塾の経営者の立場でみてきた下村大臣は,どう変えていってくれるのだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より