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「教える」ことの意味を理解していない教師とブロガー

 教育改革という大げさな問題の前に,まずは日頃の授業の改革である。

 私は社会科なので,

 社会科のひどい授業の話をよく耳にする。

 自分で教科書を読んで,自分でそれを黒板にまとめている。

 それを生徒はだまってノートに写している。

 ノートに写さないと,減点すると脅しているそうである。

 こんな人間に「月給」を与えてしまっているのが,日本の教育界である。

 ある教師が,

 「月給分だけは教えた。あとは自分でやれ」

 と言ったらしい。

 こういう人間でも教師になれた時代が日本にはあったのである。

 その教師たちが,大量に辞める時期となった。

 免許更新講習を受けずにすんだ教師たちは,多額の退職金をもらって現場から去っていく。

 いまや公務員は,安定性などなく,景気の変動を受けて退職金も勝手に減額されてしまう時代である。

 指導力のない団塊の世代の教師たちの教育の「損失補てん」をしてきた若い世代としては,

 本当にやりきれない話である。

 全く話がそれてしまった。

 冒頭に述べた,新卒の教師なら良心の呵責から絶対にやりようのない,

 どうしようもない授業を,何の気兼ねなくやれてしまう教師が,子どもの学ぶ力を崩壊させている。

 教えることの意味がわかっていないブロガーがいる。

 「試験範囲でないところを出すと,文句を言われる」のは,当然である。

 「試験範囲」が出ているのなら。

 子どもが文句を言う実態があるのは,「試験範囲のところでも学校で教えてもらっていない内容が出た場合」

 である。

 そういう「文句」が来る時点で,「教える」ことの意味が子どもに伝わっていないことがわかってしまう。

 こういう話が思い浮かばないのはなぜかというと,

 「教えたこと」=「そのまま試験に出ること」

 という底知れない貧困な学力観が原因になっている。

 「教える」とは,「試験の問題の答えを教える」という意味ではない。

 こういう話が通じない人がいる。

 「教える」ということの意味以前に,

 「学ぶ」ということの意味がわかっていない。

 学力を定着させられるわけがない。

 釧路市は,こういう教師を学校から「追放」できる制度までつくりあげてほしいものである。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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