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ネット上の実践記録から読み取れる小学校の授業

 小学校の学習というのは,学習指導要領が変わっても,基本的には何十年も変わっていないように感じる。

 そこから,小学校の教師の基本的なスタンスというか,おそらく大学の教職課程でも

 「教化」され続けている大きな原則があるように思える。

 「理想」とされている授業のどこに何が足りないのかを分析してくれている人はいない。

 それをしてしまうと,教職課程をもっていた大学の先生が「間違い」を教えていたことの証明になってしまう。

 こんな授業があってもいい。

 子どもは,30分間,ひたすら自分の力で課題に向かって,人との意見交換などはしないで試行錯誤し,調べ,自分の言葉でまとめ,ノートに表現する。

 残りの15分間で,発表し合う。

 ノートは教師が集め,デジカメで撮影し,すぐに返す。

 プリントアウトしたものをもとに,次の時間にさまざまな生徒のいろいろな考えをもとに授業を展開する。

 子どもがノートに書かれたものの価値の総体は,考えもせずにやりとりされる言葉の投げ合いに終始し,後に何も残らない(高揚感のようなものはしばし,残る)ような授業よりもはるかに大きなものだと考えられる。

 授業参観では,いきなり「話し合い」になるケースもある。

 教えてあげないと,子どもの考えは高まったり深まったりはしない。

 小学校の授業実践記録では,おそろしいほどインフレ状態の「高まり」「深まり」に出会う。

 ほとんどが教師と一部の生徒のやりとりだけで終わっているケースも同じようなものである。

 「高まり」「深まり」と誤解しているのは授業者だけである。

 子どもは時間がたつとすべてを忘れてしまっている。

 一人一人の子どもにどのような力がついているか,判断することができない授業では,参観する意味はない。
 
 人間関係が良いか悪いかは,授業よりも遊びの場面を見ればすぐにわかる。

 子どもの学力を判断することができないように「工夫」していると考えたくもなってしまう。

 どうやって子どもは学力を定着させていけるのか。

 中学校入学時に基礎的な学力が定着している子どもというのは,中学校でも順調に伸びていく。

 中学校の教師としても,「定着」していない子どもたちの「学習歴」にはたいへん興味がある。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より