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教育公務員の「転籍」先は?

 ある大手スーパーは,正社員を減らし,パートに命運をかけるとのことである。

 家内の友人は,仕入れから何から,正社員がするような責任ある仕事を次々に任されて,

 「それはないんじゃないか」という感想を抱いているらしい。

 しかし,能力のある人を企業は見逃さない。

 能力があり,賃金が安ければ,願ったりかなったりである。

 正社員の「転籍」先は,コンビニ店だそうだ。

 コンビニ経営でノウハウを生かさせるという。

 これを教育現場にあてはめて,「授業」というものに重点をおけば,

 「講師」に命運をかけ,

 「正社員」は公営の小規模な「塾」のオーナーに転籍,ということか。

 最近の「講師」の中には,退職した大ベテランもいるから,

 あながち「夢物語」でもない。

競争が激しく流動的な社会が嫌な人間が,公務員を志向し,教員になる。

 こういう人は,民間企業の厳しい現実を知らないから,

 「ああ,公務員でよかった」と思うことだろう。

 競争がなく,安定だと思い込んでいる公務員には,

 給料や退職金の減額という現実がつきつけられるようになった。

 自分の「損」には非常に敏感だが,

 子どもたちの「損」には全く無頓着な教師たち。

 新規採用で授業が成立しないところ,人間がいなくなってしまったところに,

 実際に働きに出ている「満額の退職金を受け取ったお金持ち」の退職者もいる。

 それほどまでに「授業」「生活指導」は難しいものなのか。

 「子どもがいうことを聞かない」「親がクレームばかりよこす」

 などは単なる言い訳である。

 たしかに,すべての子どもとすべての親に見放されたら,公務員と名乗って現場に立つ資格はないだろうが。

 「塾」という手ごろな「転籍先」が見つかれば,退職者は激増するだろうか。

 しかし,「塾」は競争原理が働いている場所である。

 やはり学校しか居場所はないらしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より