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「合言葉」の誤解で学力低下に拍車がかかる

 「言語活動の充実」という「魔法の言葉」が,また学力低下の原因になる恐れが出てきている。

 「言語活動の充実」は,あくまでも学力向上のための手段の一つである。

 「充実」というのがミソで,今まで,一定の学力(基礎的・基本的な知識・技能)を保障してきた学校が,子どもに「何をどう学んだかを,そこから何を考えたかを,自分の言葉でしっかりとふり返らせる」ことで,「より高い質の学力」を伸ばしていこうとするならわかる。

 しかし,今まで教師の指導力に課題があったために,そもそも基礎的・基本的な知識・技能の習得がおろそかになっていた子どもたちにこれを強いるのは無理である。

 多くの授業では,「思考力・判断力・表現力を育成する」のに適した「教材」が用意されていない。

 教科書を開くと,ご丁寧に

 「安土桃山時代の文化とは,どのような特色を持っていたのでしょうか」

 などという課題が示されている。

 そして,その「特色」は,文章で書かれている。

 これをなぞっているだけの授業で,あるいは書いてあることをまとめて発表するような授業で,「思考力・判断力・表現力の育成」が図れるわけがない。

 「どのような特色か」という「基礎的・基本的な知識」を獲得した上で,それを活用する場面が求められる。

 そのための問いが,

 「なぜそのような特色のある文化が,この時代に生まれたのか」

 「そういった文化が,その時代やその後の時代にどのような影響を与えたのか」

 というものである。

 こういう問いに答えさせる活動を通して,初めて,「自分の言葉で語れる」生徒が育つ。

 「学び合い」という名目の指導放棄によって,子どもたちは教科書や資料集に書かれている言葉をそのままもってきて,理解が不十分なまま発表させられている授業をどれだけ経験させられているか。

 今年度から完全実施された学習指導要領で,中学校の社会科はどのような趣旨の改訂が行われ,どのような授業が行われなければならないのか。

 以下に,「改訂の要点」の一つを示す。

 *************

 第2に,言語活動の充実の観点から,社会的事象の意味,意義を解釈する学習や,事象の特色や事象間の関連を説明する学習などを通して,社会的な見方や考え方を養うことを一層重視した。
 
 *************

 ただ子どもに調べさせ,基本的な知識や技能が未熟なまま話し合わせたり,考えさせたりするのは,こうした改訂の趣旨に合っていない指導であることは明らかである。

 「言語活動の充実」を,「話し合い活動や発表活動の時間を増やす」と短絡的に考えている教師や団体がいないか,点検しなければならない。

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コメント

日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より