授業を堂々とサボれる保健室
保健室の利用状況が,学校経営が健全であるかどうかの判断基準の一つになる。
「いじめ」の第一感知者(発見者ではない)が養護教諭であるケースが多い学校もあろう。
学校評価では,養護教諭の「はたらき」を対象とする項目はないと思われる。
が,「関心外」であってはならない。
不登校や不適応などの実態は,文科省がとりまとめている調査などではわからない。
「保健室登校」で授業をまったく受けず,自習もしない,ただお話しして帰宅する,という生徒は,学校には出てきているので「不登校生徒」には含まれない。
こうした生徒の実態を国が調査しない,ということは,
国会議員が問題にしない,ということで,
「関心のない」世界の話,というわけである。
同じ公立学校でも,
「保健室」のあり方は,学校によって大きく異なっている。
養護教諭も学校の教員の一員であるが,
学級担任をもたない,
「保健」の責任者であるために,
「教務」や「生活指導」や「進路」の担当にはならない,
保健体育の教師と連携していない養護教諭は,授業もしない・・・・
独特の,というか,特別の,ポジションである。
生徒から見ると,怪我や病気にかかることがなければ,
4月か5月の「健康診断」くらいでしかお世話になることがない。
「健康な生徒」にはかかわりがない教師であるという認識もある。
ある学校では,養護教諭よりもスクールカウンセラーの方が生徒の情報が入るようになり,養護教諭だけが知らないことがあったりする。
職員室よりも保健室にいる時間の方が長い養護教諭は,一日,一度も顔を合わさない教員がいることもある。
養護教諭がどうあるべきか,という「強い願い」を持っている教師は少ない。
ということは,それだけ,そういう「問い」を抱いた養護教諭が「たよりにできる人」がいない,ということである。
養護教諭によっては,はっきりと自分の仕事を割り切って,
学校経営にはいっさい口出しをしない,と決めている人もいる。
では,本当はどのような養護教諭が求められているのだろうか。
「体の健康管理」より,「心の健康管理」の方が大切なのだろうか。
私は,以前,「迷惑な養護教諭」という趣旨の記事を何度か書いている。
多くの養護教諭は,よほどのベテランでない限り,「出しゃばる」と批判されないよう,自省する行動をとることが多い。
生徒をかきまわし,混乱させ,問題を深刻化する養護教諭の実態を耳にすれば,自分はああなってはいけない,と強く思うようになるはずである。
しかし,養護教諭のかかわりが,「救い」のきっかけになる場合もある。
養護教諭はどうあるべきか。
正解はないと思うが,
私がベストだと思うのは,中学校の場合,時期を区切って「学年所属の教員」として「学年会」にも必ず出席できる環境を学校がつくることである。
保健体育の教師と連携をとって,授業ももつ。
そして何より,担任教師が「ちょくちょく顔を出せる」保健室の環境をととのえてもらうことである。
養護教諭には,コミュニケーション能力の高さが求められる。
保健室に入ったはいいが,何も言い出せない中学生に出くわすこともあるだろう。
こういう生徒にきちんと向き合える力はもちろん,管理職や一人一人の教員とも,意思疎通がスムーズにできる人であることも求められる。
学校によっては,生徒よりも教師の方が病んでいる。
保健室がそういう教師の「避難所」になるのはもちろん適切ではない。
しかし,そういう教師も含めて,ときどき教師が休んでいる生徒の様子を見に来る,生徒の保健室利用状況を把握しに来る,そういう場になることが理想である。
保健室が学校のどこに「位置」しているかも,実は案外,重要である。
教室との位置関係,職員室との位置関係,校門や生徒昇降口との位置関係・・・。
「学校(内)地理学」という「学問」があってもいいと思うが,これは余談である。
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