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正確な分析・評価が自分だけに適用できない教師たち

 どうしてあの人は,「あんな人間なんだ?」という疑問への答えを,

 分析するのが好きな人がいる。

 教師たちは,「どうしてあの子は~なんだろう?」という問いから,

 「家庭環境が~らしい」という伝聞を中心とした情報をもとに推論を重ね,

 「なるほど~だから,ああなんだな」と納得する。

 私自身も幾度となく見てきた光景である。

 「どうしてもっと幼児期に,充実した教育をほどこしてくれなかったのか?」

 「なぜ愛情をもって,子どもに接してくれなかったのか?」

 悔やんでも遅いのである。

 公立学校というところは,いろんなスタートラインから走り出している子どもを集めて教育を行う場である。

 だから,Aは~だからだめ,~だから足手まといだ,なんて論評していても始まらない。

 それぞれの子どもに適した指導なり,条件なりを考えていくことが大切である。

 しかし,小学校というところは,

 とにかく「一律同じ」であるところに価値を見いだそうとしているように見える。

 学校の指導目標には,「一人一人を大切に」などとうたっておきながら,「一人一人は見ないで,全体を基準に指導」している教師が多い。

 「同じ評価規準に基づいて,同じように評価する」ことが至上命題のようになってしまっていて,

 「評価は何のためにあるのか」を忘れてしまっている。

 評価は,指導をより充実させるため,確かな力をすべての子どもに身につけさせるためにある。

 それを忘れている。

 私は,パフォーマンス評価というものに強い嫌悪感を抱いている。

 低い程度のパフォーマンスしか発揮できない子どもには,しっかりとした指導を行って,全員合格,と言えるレベルに到達させるために,評価を行うのである。

 それなのに,教師は指導しないで,できない状態をできないままで放置し,そして「できなかった」という評価を下している。

 これは,職務の怠慢に等しい。

 そう。

 大げさに言えば,職務専念義務違反である。

 評価に熱心で,指導をしない。

 これが,指導力に課題のある教師たちの典型的な姿である。

 いい見本がいる。

 自分のことをしっかり書いているが,それが自分のことであることに気づけない。

 自分のパフォーマンス評価をすべきである。

 本当に,適切な指導をしているのか。

 まずそこから,授業の改善はスタートすべきである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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