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発達障害をかかえる子どもへのやさしさ

 小学校から中学校へ進む子どもの情報伝達で,最も重要なものの一つが,発達障害をかかえる子どもへの指導の経過である。

 しかし,なかなか伝わってこない情報が多い。

 特に小学校側が隠したがるのが,たとえばアスペルガー症候群の子どもを「隔離」することで,「問題の発生を抑制」してきたケース。

 要は,状況を悪化させる方法を学校ぐるみでとっていた場合である。

 ときどき,その問題性に教師たちが気づけないで,そのまま情報が上がってくる場合もある。

 中学校に入ったとたん,問題が発生することになるが,

 中学校では「隔離」はしない。というより,「できない」。

 小学校と違って,中学校では常に生徒たちは「動く」。

 教師たちも,「動く」。

 「動く」範囲も広く,時間も長い。

 情報が隠されていた場合は,該当生徒をめぐる問題が繰り返されることによって,教師も生徒も「気づく」ことになる。

 しかし,それが「いじめ」として深刻になってしまっている場合は,「手遅れ」になることもある。

 発達障害については,教師はより敏感に,決して過敏にはならないように,

 適切に対処する必要がある。

 元教師で,

 「障害」について「やさしくない」記事を書いている人がいる。

 飽きずに繰り返し,繰り返し,書いている。

 「障害」=「悪」という信念を頑なにもっているようである。

 自分のことを書いているように読める部分が非常に多いのだが,基本的には

 他人を攻撃している文章である。

 人格を否定するような発言を,平気で行う。

 医師でもないのに,病気の診断を下す。

 こういう教師は現職のとき,発達障害をかかえる子どもにどうやって接してきたのだろうか。
 
 教師をやっていると,その教師自身が「障害」を抱えていることがすぐにわかる人に出会うことがあるだろう。

 こういう人は,自分と同じような人間に,たいていは厳しいものである。

 その「厳しさ」が,ときに尋常でなくなる。

 そして,保護者や生徒とトラブルを起こす。

 教師たちは,「やっぱりね」と納得してしまう。

 同僚の「障害」にも,教師たちは対処しなければならないのが,学校現場である。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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