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「教師に気に入られるため」の教育ブログづくりは破綻している

 私たち現役教師には,何の役にも立たないブログがある。

 寝ぼけた校長の悪口をいくら書いても,それは日々の教育実践には結びつかない。

 そういう校長を,どうすれば「変えることができたか」ならば,役に立つかもしれない。

 私は幸いにも,親からの苦情にひるんで「子どもを叱るな」なんておかしな圧力を教師に加えるような校長には出会ったことがない。

 しかし,もしそういう校長がいる,そういう校長のもとで,悩んでいる,という教師がいたとしたら,簡単な解決方法を示すことができる。

 教育委員会に話をすればいい。O市のような教育委員会でなければ。

 そういうときのために,一人くらい,信用できる指導主事と話ができるようにしておいてほしい。

 指導主事は,人事には直接かかわらないから,何の心配もいらない。

 もし,そういう指導主事がいなければ,教育長にお手紙を書いてしまえばいい。

 もし,その勇気がないなら,PTAという立場で,メールを入れてもいい。

 どんな手段でもいいから,「こういう圧力をかける校長がいる」ことを広めてしまえばいい。

 校長は変わるはずである。

 それをしないで,「校長の命令で,私は子どもを叱らない」なんて堂々としている教師は,子どもにとって迷惑だから,すぐにやめてほしい。

 校長の悪口のようなブログは,役に立たないだけならいいのだが,

 その内容に共感を覚えてしまうような教師がいるのが非常に気にかかる。

 「そうそう,うちは校長がダメだから,いい教育ができない・・・」って・・・。

 校長にしろ,教員にしろ,課題を挙げ出せばきりがない。

 まず,自分の課題に目を向けなければならない。

 それを促すことのない情報は,本質的な問題の解決には結びつかない。

 教育の問題を正面から取り上げようとする「自覚」が感じられない。

 寝ぼけた教師たちの何をどう「応援しよう」としているのか。

 教育を変えるために動くことがおっくうな人間が今より増えれば,公教育など簡単に破綻する。

 「新しい提案」に国民が飛び乗るときが,「公教育の終わり」のときである。

 そしてそれはきっと,「教育の終わり」のときである。

 すでに「終わっている」教育を見てきた人たちには,その危機感はわからないだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より