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心が貧困な教師たちの教育論

 子どもの学力と母親の学歴の相関をとったり,

 家庭の貧困が子どもに与える影響を憂えたりと,

 教育を飯のタネや話のタネ=「おもちゃ」にしている人間が少なくない。

 確かなことが一つある。

 教師には,子どもの生き方を変えるような影響力を発揮できる,「学校」という場がある。

 「学校」という場を,どう生かすかは,教師の力量にかかっている。

 はっきり言って,機械などは必要ない。

 昔から,「学校」で子どもが本当の意味で学ぶべきことに,大きな変化はない。

 しかし,教師が「学校」を生かすことができなくなってきた。

 「機械」に頼ろうとする人間が増えているが,「機械」を頼りにしてもしなくても,できることがある。

 どうして教師の「教育力」が低下してきているのか。

 「豊かさ」が実感できない,「心の貧しさ」だけが際立つ「豊かな」時代になったからか。

 家庭が豊かになり,

 子どもが少なくなり,

 そういう環境で育った子どもが教師になってきている。

 昔は,家庭が貧しく,

 子どもの数が多く,したがって親戚の数が多く,

 多くの大人に成長を見守られながら,小さいときから今に至る教師が減ってきている。

 心が貧困になるのは,さまざまな人間とのかかわりが薄れてきているからだと考えることもできよう。

 おばさん,おじさんにも,いろんなタイプの人,いろんな性格の人がいる。

 おじいちゃん,おばあちゃんも。

 何をしてあげれば喜び,何を嫌がるのか。

 いろんなタイプの人と接してきた人間は,

 どんな「親」がクレームに来ようが,かわいいものだと余裕で迎えられる。

 「そんな,大人,見たことない」なんて反応でパニックになるような,「優秀な教師」が増えているのではないか。

 それは,豊かな社会で人間らしいふれあいが乏しくなったからではないか。

 心が貧しいというか,経験の貧しさも含めて文章ににじみ出てくる人がいる。

 子どもの心配より,自分の心配をすべきである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より