人として生き,人を生かし,人を生む教師
あの野村監督と他の監督の大きな違いは,
ミーティングにあったそうである。
その場で野村監督は,繰り返し「人生観」を説いた。
人として生まれた選手が,
人として生き,
人を生かし,
人を生む
とは何か。
これを教師にあてはめてみれば,
教師となった運命を,自分がどうとらえるか,から始め,
教師として生きるとは,どういうことか(責任と使命)
教師として,人を生かすとは,どういうことか(仕事,チーム力,教育力)
教師として,人を生む=つくるとは,どういうことか(育成,継続)
教えることが仕事の教師は,
教えられることを嫌がる。
でも,こういう「人生観」を語ってくれる人が,
身近にいたかどうかでは,その人の教師人生は大きく違ったものになるだろう。
そこかしこに,
教師としての責任感や使命感が感じられず,
自分たちに従わない=協調性がないと判断して組織から排除する人間がいる。
人間としてのスケールが,小さすぎるのである。
考えてみれば,教師という職業は,なかなか
「スケールの大きさ」を示しにくいものではある。
スカート丈の長さを注意しなければならないし,
危険な遊びをしている生徒をとめなければならない。
ただ,それはそれ,授業は授業である。
40人の目や耳を50分間にもわたってひきつけ続けることができる条件を与えられた人間はめったにいない。
どう生きるか。
それを常に自らに問える教師でありたい。
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