ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 野球だけでなく教育も知らない人間が語る「知能の足りない人」の話 | トップページ | 日本で「本物」が育たない理由 »

人として生き,人を生かし,人を生む教師

 あの野村監督と他の監督の大きな違いは,

 ミーティングにあったそうである。

 その場で野村監督は,繰り返し「人生観」を説いた。

 人として生まれた選手が,

 人として生き,

 人を生かし,

 人を生む

 とは何か。

 これを教師にあてはめてみれば,

 教師となった運命を,自分がどうとらえるか,から始め,

 教師として生きるとは,どういうことか(責任と使命)

 教師として,人を生かすとは,どういうことか(仕事,チーム力,教育力)

 教師として,人を生む=つくるとは,どういうことか(育成,継続)

 教えることが仕事の教師は,

 教えられることを嫌がる。

 でも,こういう「人生観」を語ってくれる人が,

 身近にいたかどうかでは,その人の教師人生は大きく違ったものになるだろう。

 そこかしこに,

 教師としての責任感や使命感が感じられず,

 自分たちに従わない=協調性がないと判断して組織から排除する人間がいる。

 人間としてのスケールが,小さすぎるのである。

 考えてみれば,教師という職業は,なかなか

 「スケールの大きさ」を示しにくいものではある。

 スカート丈の長さを注意しなければならないし,

 危険な遊びをしている生徒をとめなければならない。

 ただ,それはそれ,授業は授業である。

 40人の目や耳を50分間にもわたってひきつけ続けることができる条件を与えられた人間はめったにいない。

 どう生きるか。

 それを常に自らに問える教師でありたい。


にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 野球だけでなく教育も知らない人間が語る「知能の足りない人」の話 | トップページ | 日本で「本物」が育たない理由 »

教育」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人として生き,人を生かし,人を生む教師:

« 野球だけでなく教育も知らない人間が語る「知能の足りない人」の話 | トップページ | 日本で「本物」が育たない理由 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より