あなたの学校では,「話の聞き方」を指導していますか?
「素直さ」を他人から認めてもらえるような生き方がプラスになるであろうことは,多くの人が実感していることでしょう。
ただ教師という職業の場合,「素直」でない側面がヤケに目立つことがある。
もうそういう「目障りな人たち」がいなくなりつつある学校が多いかもしれませんが,
「管理職の言うことにいちいち,ケチを付ける」タイプの教員がいる。
一方の,「素直」すぎる教員というのは,「思考力がないのではないか」みたいな目で見られてしまう。
だから,よくわからないながらも先輩のマネをして,いつの間にかそっくりになっていく。
何かにつけて難しい顔をして,考え込んでいるようで,これが日本人らしい特徴でもあるのですが,自分のはっきりした考えは言わない。イエスかノーかがわからない話を延々とする人がいる。
しかし,「素直っぽくなく生きる」ことが,何かステータスのようにふるまってきた人が,現場を去ろうとしている。
思考停止の人が減れば,学校は改善への道を歩むことができるのです。
今まで,研修を実施する担当だった事務の人たちは,
「こんな研修に意味はあるか」
「すぐに役に立たないではないか」
みたいな批判にさらされ,「評価」が下がることを懸念して,
逆に研修の質を下げてしまうという流れがありました。
学校教育も,教員を対象にしている研修も,そんなに早く「効果」が現れるものではありません。
「すぐできる~」という,
学力に課題がある子どもが飛びつきそうな本に,
教育の仕事を専門にしている教師までもが飛びつくのは,恥ずかしいものです。
人の話の聞き方を,たとえば中学校ならどのように指導しているのでしょう。
レベルは高いのかもしれませんが,
私のところでは,
「話している人がとても話しやすくなるような聞き方」を生徒に要求しています。
「やってはいけないこと」は,あえて言わない。
そうすると,何か問題がおこったとき,「それはなしでしょ」という声が生徒から上がってくる。
やがて,「話しやすくなる」ことの意味も質的に向上していきます。
「ただ静かにだまってじっと集中して聞いている」ことで,人は「話しやすくなる」のか?
という疑問を感じてくれれば,ステップアップできる。
研修というのは,どのように受けるのがいいのでしょうか。
それは,
自分が「研修を受けている」という意識をなくすことです。
自分が,「研修をつくっている」。
今,そこで実施されていることを題材に,自分にとっての課題をたくさんみつけておく。
実際に考えたり,調査したり,実践してみるのは,研修から帰ってからのこと。
研修では,「どのくらいたくさん自分の課題が見つかったか」がポイントになるのです。
「自分は何をしなければならないのか」という自覚をもてたかどうかが重要なのです。
ステップアップしなければならないのは,自分であることの自覚をもつ,
子どもにそうさせるべきと思ったことは,自分でも実践する。
これができるかできないかが,指導力不足が改善できるかどうかの大きな鍵となります。
« 商売ネタで教育ブログを汚すモラルハザード | トップページ | 法の精神を知らない人が書く学校像 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「仕事術」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント