「競争で協調性を育てる」人が見失っているもの
いやに長い記事だが,タイトルに見合う内容が何もない。
どこまでも困った人である。
一応,タイトルに正対していると考えられる部分には,おかしなことが書いてあった。
趣旨は,「学校は競争で協調性を育てられる」ということ。
こういう考え方の教師がいるから,公立学校は「ダメ」と見放されるのだろう。
「競争で学力を高める」教育を批判しているはずだったのだが,
「どうやったら協調性が育つ」のか,アイデアが浮かばなかったらしい。
で,結果として,
「グループ間で競争をさせれば,子どもは協調せざるを得ない状況になる」
こうして,「協調性が育つ」。
なんて安易な話が飛び出している。
これは,安っぽい「すぐにできる~」本に書かれているような,
「子どもだまし」の話であって,
「教育の話」ではないことは,教職課程の学習をしている大学生でもわかるだろう。
スポーツの世界も話題に出しているから,
「協調性」の意味を考えるレベルが非常に低いことが露呈してしまっている。
大きなものを見落としている。
その見落としているものが,「教育」の核になるものであることが,どうも理解できないらしい。
「核」のない教育をしてきたからこそ,今の姿がある。
こういう教師には,最も自分が「気に入らなかった生徒」を思い浮かべてもらいたい。
その生徒が持っていたものが,「とても大切なもの」だったことに気づけなければ,
ものを教える人間としての資格はないのだ。
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