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アマチュアに説教するプロ?

 教員を目指している大学生や大学院生の中には,塾や予備校,家庭教師などのアルバイトをしている人も多いだろう。

 学校で非常勤講師をしている人も,夜はそういうアルバイトをしているかもしれない。

 アルバイトでも,お金をとって教える以上は,「プロ」の自覚がなければならない。

 私の場合は,塾で教えていた生徒(の保護者)からの直接の依頼で,(内緒で)家庭教師をしていたこともあった。

 だから,公立学校の教師になった4月よりも,その直前の1月とか2月の方が,月の収入は多かった。

 勉強だけでなく運動もやりながら,アルバイトをしていたころが,おそらく人生の中では一番忙しかったときであろう。

 金をもらう以上は,プロである。だめな人間は,いつでも辞めさせられる,厳しさがある。

 「教える」プロの自覚がもてたから,教員を目指したのかもしれない。

 しかし,学校で働き始めたころは,自分が「プロ」という自覚はもてなかった。

 そもそも「先輩」「後輩」の上下関係が絶対的な社会に長くいたから,給料をもらいながらも,自分が「勉強させてもらっている」という感覚の方が強かった。夕食をおごってくれる「先輩」もいたから,大学1年生のころと同じような生活になった。

 よく「先輩」の教師を観察していると,わかったことがある。

 それは,「プロとしての自覚」をもっていることと,「プロといえる教師である」のは別のことだということ。

 プロ野球の選手でも,結果が出ずにすぐに消えていく人がいる。

 教師の場合は,それがない。

 教師は,「教える」プロ以前に,「学ぶ」プロでなければならない。

 ブログで,アマチュアに説教している人間がいる。

 人に説教する前に,自分が何ものかをよくよく考えなければいけない。

 書いていることと逆のことが平気で言える人間らしさが,にじみ出ている。

 こういう人間が,教育のプロだったとはとうてい思えない。

 いや,その反省をしているのだろう。

 こういうやり方をしてはいけない,ということをわからせるために,素直に自分らしさを表現している。

 そう「学ぶ」ことが,プロの仕事である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より