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協調性を「求める」人間の感覚が「いじめ」を生む

 特定の人間に「協調性がない」という評価を下し,集団から排除するのが,「いじめ」の方法の一つである。

 高い能力や優れた感性をもちながら,「自分の主張を大事にする」ことを理由に,周囲の人間によって「邪魔者扱い」される。

 社会に出たらこれが当然だ,と教えるような人間に,いじめを防ぐことはできない。

 というより,いじめに加担するようになるだろう。

 協調性は「求める」ことで得るものなのかどうかは,「教育」を語ることができる人間ならわかるだろう。

 協調性を育てるのに必要なものは何か。

 それを考えるのが「教育」の仕事である。

 協調性に欠ける人間を「えさ」にすることではない。

 「そんなに遊んでばかりいると,お父さんのようになってしまうでしょう」

 と子どもを諭す母親から,教師は何を学ぶことができますか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より