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教師を信用してよいのか?

 日本人は,「きれい」な話が表面的には好きであるが,ネット上の世界を見ればわかるように,本音の部分では相当に「言いたいこと」を言っている。

 それが,本来の「自由」な世界である。

 もちろん,「頭がおかしい」とかいう言葉を見知らぬ人に投げかけてはいけない。

 これはご法度である。

 どうしてもやめられない人がいる。

 それをおもしろがって見ている人がいる。

 それは見る人の自由である。

 教師は信用できるのか?

 映画「悪の教典」を見たAKBの大島優子は嫌悪感を隠しきれなかったようだ。

 教師は信用できるから,教師なのである。

 信用できなくなった人間は,いったい何なのだろう。

 生徒が教師の問題を原因にして学校に行きたくなくなるのは,ごくごく当然のことである。

 教師も人間だ,というのは,「きれい」な世界の・・・・わかりやすく言い直せば,「きれいごと」の世界の言葉である。

 教師は公務員である。

 公務員そのもの自体が信用されていないという問題もあるが,

 公務員という存在を,憲法が規定しているような,憲法を守らなければならない,そういう立場のものと考えれば,教育者という以前に,その資質に欠けた人間が教育公務員になってしまっているという現実がある。

 試験に受かったのだから・・・・などという,合格してから勉強しなくなる東大生を知らない「世間知らず」が教師をかばっていても何も始まらない。

 あの「公務員試験」「国家試験」が,あまりにも「知力偏重」のものであることを,「高校受験」「大学受験」などを見直す前に,決定的に反省していかなければならない。

 こういう話は,選挙の争点にはなりようがないが,ときどき,国民が決める「争点」ごとに,候補者に討論させるような機会をもってほしい。
 
 免許更新講習は今,何回り目くらいだったか。

 役に立たない講習を一刀両断にすべきである。

 私はその役に立たない講習(テキストで自習というもの)を受けたが,最後の試験は国語の問題だった。採用試験より易しかった。そうでないと,本当に「不合格」にせざるを得ない教員が出てくるからであろう。

 「全員が受かることになっている試験」に,何の意味があるというのか。

 本当の意味の免許更新講習に戻す。今の政権ではだれもそれを言えないが,政権再交代が実現しても,望み薄だろう。

 どのレベルの教師がどのように問題なのかという,具体的なイメージが,国民の目にふれていないのである。

 子どもには,少なくとも,信用ができる教師の教育を受ける権利を認めてほしい。

 学校説明会には,管理職は必要ない。どうせ2~3年でいなくなるのである。

 ベテランの教師,若い教師,いろいろな教師と「懇談」ができる機会をもってほしい。

 1分間スピーチでもいい。

 教師の「話」を聴きたい。

 でも,どの学校も実現しないだろう。

 それが公立学校らしいところである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より