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なぜ中学生は「発表」を嫌がるか?

 中学生は,そういう年頃だから,と納得する指導力不足の教師がいる。

 中学生に密着して生活してみればよい。

 友達同士で,本当によく「発表」し合っている。

 学級の中でも,自分にとって切実な問題が起これば,真剣に「発表」することになる。

 中学生が「発表」を嫌がるのは,

 簡単な話で,

 「発表」する価値を見いだしていないからである。

 評価がうるさくなってからは,

 きめ細かく「評価される」ことを意識しながら発表しなければならない。

 自信がない生徒は,委縮にするに決まっている。

 「評価」を前提とした学習活動というのは,殺伐としたものである。

 「発表したいこと」がなければ,「発表させなくてよい」のである。

 「発表する価値」を見いださせない教育は,何を育てられるというのか。

 学習課題が本当に適切なものか。

 ノートや本にあるものを,ただうつしてきて「まとめた」気にさせるような低レベルの授業をしているようでは,学力は身につかない。

 「発表」に意欲をもつ子どもを育てたければ,「考えること」に意欲をもてる「課題」がなければだめなのである。

 でなければ,「発表」は「ノルマ」となる。

 「ノルマ」という言葉からすぐに連想してほしい光景がある。

 シベリア抑留。強制労働。

 「ノルマ」が流行語になった,当時の様子を思い浮かべてほしい。

 教師はそれと同じことをさせているかもしれないのである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より