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続・どうしたら「一人前」の教師になれるか?

 前回の記事は,学年などの同僚教師から認められるようになることを主眼においた「一人前」像であった。

 教師の場合,「手抜きだけは一人前」とか,「文句とか不平不満だけは一人前」なんていうありがたくない「適正な評価」を受けることも多いので,「よい同僚に恵まれるかどうか」も教師としての成長に欠かせない要素である。

 今回は,教科指導において「一人前」になる方法を考える。

 ここで忘れてはならないのは,

 「自分ができること」と「教えること」は別のことだというごくごく当たり前のことである。

 「教えること」の本質をよく鍛えてくれる大学院ならいいのだが,

 「自分ができること」を増やそうとするだけの大学院では,「一人前」になるための教師の資質は育たない。

 
 「教える」という仕事で「一人前」になるためには,

 「生徒がよりよく学ぶ」ように「教える」訓練を積まないとだめである。

 受験学力が必要な教科学習の力が,すべて「テスト」で測れるかのように誤解をしている人,

 学校の授業が,塾のように進められていると誤解している人がいるが,

 学校における教科の学習には,「意欲的に学べる」しかけが必ずあるはずである。

 「必ず」と書いたのは,そういう「評価」をすることになっているから。ただ,指導はしていないが評価だけはしている,という例はあるだろう。そういう教師は「一人前」どころか,「偽物」なのである。

 「意欲的に学ぶ」ために,すぐに「競争」を思い浮かべる人がいるかもしれないが,それが教科内容の本質とは関係ないことくらい,だれでもわかるだろう。

 このような,本質とはかけ離れた方法で子どもの「意欲」を語る教師は,「偽物」である。

 世の中には,この「偽物」を増やすための仕組みを,出版業界がつくっている。

 教科教育の本当のおもしろさを子どもに実感させる教師が,「一人前」の教師である。

 どうしたら,その段階に達することができるか。

 教師はだれでも,自分が「主役」になりがたる。

 自分が「主役」の気分でいるうち(それを自覚しないことが問題なのだが)は,ただの「スピーカー」にすぎない。

 スピーカーには,聴いている人がどんな思いを抱いているかを感じとることができない。

 学習の「主役」「主体」は,あくまでも子どもであり,その子どもがどんな「変化」を見せるのかを「把握すること」が,教師のつとめである。

 ここにくるまでに,最低でも10年はかかるだろうか。

 小学校の教師の場合は,もう少し早く「一人前」になれるかもしれない。

 それは,同じ子どもと一緒にいる時間が,非常に長いから。

 次に大事になってくるのは,

 「保護者対応」が「一人前」の教師だろうか・・・?


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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