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なぜ小学生は「発表」が好きか?

 小学生の多くは,楽しそうに「発表」をする。

 なぜ「発表」するか。

 それは,「楽しい」からである。

 自分が調べたことを,友達に聞いてもらうのが「楽しい」。

 ただそれだけである。

 自分が「発表」しているときは,

 担任の先生の9割方の注意は自分自身に向けられる。

 それがうれしいのである。

 他の子どもが発表した内容と全く同じような内容でも,平気で発表している。

 先生が聞いてくれるから,自分は満足できるのである。

 「発表した」ことに子どもが満足している授業が多い。 

 こういう授業だから,学力がつかない。

 「発表する力も学力のうちです」・・・・その通りである。

 要は,その「発表」の中身である。

 小学校の教師は,「中身」の課題を真剣に吟味しない。

 それよりも,「生き生きと発表できたこと」に意義を感じる。

 そういう教師だからこそ,子どもは「生き生き発表」できるのである。

 小学校でも,教師が「中身」の課題に触れだしたら,とたんに子どもは「発表」を嫌がるというか,遠慮するようになる。

 それは,当然のことである。

 教師が「喜ばない」ことを,「楽しそうにやっている自分」が自覚できるになれば,中学生に一歩近づいていると言える。

 教科書や資料集から丸写ししたような作品を,

 「私はがんばりました」と胸をはって紹介している子どもに,思考力が身についているとは考えにくい。

 そう。

 だれでもできることが,自分もできた。

 それが「やりがい」なのである。

 そうやって,全体の学力は下がっていく。

 「調べ活動」という名の,「思考力をうばう時間」と,

 「発表活動」という名の,「時間つぶし」は,さすがに6年生くらいになったら,卒業しておいてほしい。

 中学生になる前に,「考える楽しさ」を味わっておいてもらいたい。

 学習というのは,「理解したつもり」になって得意がるものではない。

 「考えてもなかなか答えが出ない」ことに,食らいついていく力をつけるのが学習の重要な一面である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より